最新情報・ブログ
2020.02.10 Monday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.125

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.125」


 

私は還暦を目前にスキーに本格的に取り組むようになった遅咲きのスキーヤーです。

冬場の運動不足解消にいいだろうと思って始めたところ、身体だけでなく、心の健康にも高い効果があることを経験し、「もっと早く始めていればよかった」と後悔しました。

それまでに何度かスキーの上手な友人たちに誘われるたびに「あんな寒いところに誰が行くものか」と断りつづけていたのです。

そのころを知っている友人たちは今の私を見て、「別人のようだ」と苦笑します。

 

今冬は、全国の名だたるスキー場が雪不足で悲鳴を上げている中、安比高原スキー場・奥中山高原スキー場・岩手高原スノーパーク・網張スキー場・雫石スキー場・下倉スキー場などは条件の差こそありますが、営業をしています。

例年ですと日本海側のほうが雪が多いのに今年は違います。

 

こういうチャンスに自治体(その中心となるのは、やはり「県」ですが)主導で「スキーを楽しめる岩手にお越しください」と全国に発信すればいいのに、そういう素早い対応ができてないのは残念です。

 

スキーヤーは「スキーができる」とわかれば、全国、どこにでも出かけていくものです。

実際、「埼玉から毎週末通っています」という方に会いました。

これまでは長野のスキー場に行っていたのですが、長野ではまだオープンしていないため岩手に来てみると岩手のほうが近いし、スキー場は空いているし、食べ物もおいしくて「今後はもう岩手に決めます」とおっしゃっていました。

 

冬の間だけ盛岡市内にアパートを借りて、スキー場に日参しているという東京の御夫婦にも会いました。

 

このような「お得意さん」が全国に潜在していると思います。

 

さて、昨シーズン末に私は、日頃の成果を試してみようと思い、全日本スキー連盟(SAJ)の技能検定(いわゆるバッジテスト)の2級に挑戦して、合格しました。

5シーズン目となる今年は1級を目指しているのですが、雪不足のため 「バッジテスト1級対策」の練習がなかなか進みません。

 

ところが、1日でも多く滑りに行きたいのに、なんとインフルエンザA型にかかってしまい、ほぼ1週間、自宅から出ることができなくなりました。

スキーは趣味だからどうでもいいのですが、岩手町初級文章講座第2回を延期するなど各方面に迷惑をかけることになってしまいました。

この場を借りて、お詫びします。

 

奇しくも、コロナウィルスが社会問題となっています。

病床からニュースを「他人事ではない」と見ていました。

手洗いとウガイでふせげるそうですので、みなさんもお気をつけください。


2020.01.13 Monday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.124

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.124」


 

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

さっそくですが、今月もお正月にも冬にも相応しくないオートバイの話です。

 

冬の間、私たちオートバイ乗りはオートバイを夢想し、オートバイに恋い焦がれます。

オートバイに乗ることができないからこそ、思いがいっそう募るのでしょう。

春になったら会津ツーリングに行こうとか、夏には北海道ツーリングに行こうなどと計画をたくさん立てます(それは計画というよりは願望に近いものですが)。

そんな思いが募りに募った挙げ句、この時期に オートバイを買い換える人も少なくありません。

 

そんなふうに私たちを虜にするオートバイの魅力って、いったい何でしょうか。

 

ひとことで言うと「解放感」だと思います。

公道をクルマと同じ条件で走行しているのに、オートバイはより自由な感覚を、乗り手であるオートバイ乗りに与えます。

この解放感はひとつ間違えると、逆走したり、信号を無視したり、過剰なスピードで走りまわるという暴走族につながります。

私たち大人のオートバイ乗りは、オートバイから得られるこの感覚が「魂の解放」であることを知っています。

 

暴走族のような無軌道な行為は、オートバイが与える解放感に対する誤解の産物と言っていいでしょう。

オートバイによって得られる魂の解放感は、自己の内面に起こる作用なのです。

 

オートバイは雨が降れば濡れますし、夏は(傍で見ている以上に)暑い乗り物です。

私のオートバイは排気量が1100ccもあるのに乗車定員は二人、高速道路の通行料は軽自動車と同額です。

不便だし、実用的でもありません。

 

でも、雨が上がり、雲の切れ間から陽が差し、やがて青空がひろがると、その美しさに涙が溢れてきます。

奥羽山脈や北上高地の山道を走っていると、森林の色や匂いの多様なことに気づかされます。

 

オートバイ乗りはシートに一人またがり、クルマよりも運転が難しいオートバイを操っています。

たいていのオートバイ乗りは、オートバイに乗って何時間も、誰とも言葉を交わすこともなく、孤独です。

その孤独の中でオートバイと対話し、オートバイを通して大地と対話し、ひいては自然と対話します。

それらは結局のところ自己との対話です。

 

つまり、オートバイ乗りはオートバイを通して自分自身を見つめざるを得ません。

その結果、魂が解放されるわけです。

これがオートバイの最大の魅力だと私は思います。


2019.12.13 Friday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.123

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.123」


 

今秋、3年ぶりにオートバイで北海道の道南を巡ってきました。

その写真を見ていて、この連載でオートバイのことをまだ書いていないことに気がつきました。

冬には相応しくない話題ですが、お付き合いください。

 

そもそも私がオートバイに目覚めたのは小学生のころです。

家が洋画専門の映画館でしたので、オートバイに限らず、クルマ、ファッション、音楽などの情報をフランス、イタリア、アメリカの映画から吸収していました。

同年代のまわりの子たちよりも早熟というか明らかに耳年増でした。

 

決定的だったのは1969年、12歳のときのことです。

私が中学生になったこの年、アラン・ドロンとマリアンヌ・フェイスフル(後にミック・ジャガーの恋人となる)がオートバイを乗り回す恋愛映画『あの胸にもう一度』が公開されました(制作年は1968年ですが、盛岡で公開されたのはその1年後でした)。

 

12歳の少年がこの映画に夢中になったというのはかなり問題があると思いますが、それには目をつぶって、オートバイの話に転じましょう。

この年はホンダ・ドリームCB750(通称ナナハン)が発売された、オートバイの世界にとって記念すべき年なのです。

CBナナハンは量販車として世界初の空冷4気筒(それまでは単気筒か2気筒が主流でした)エンジンとディスクブレーキを搭載し、最高速は世界で初めての200キロ超を誇りました。

各国のオートバイ・メーカーがホンダに「追いつけ・追いこせ」と競い合うようになり、CBナナハンのスペックが世界標準となっていきます。

 

国内メーカーから次々と大型オートバイの新型モデルが登場する中(その結果、世界のオートバイ市場を日本のメーカーが席巻します)、免許をまだ取れない年齢の私は、「早く大人になってオートバイに乗りたい」と、なんとも言いようのない焦りを感じながら過ごしたものです。

 

ところが、中学生になった私にはもうひとつ大きな出会いが待っていました。

吉田拓郎、小室等と六文銭、井上陽水らが従来とは異なる新しい音楽をひっさげて続々とデビューしたのです。

フォークブームの到来です。

私の興味はオートバイからギターへとシフトしました。

高校時代も大学時代もバンド活動に明け暮れて、その間、オートバイのことは忘れていました。

 

オートバイ熱が再燃するのは、30歳のころです。

31歳で中型自動二輪免許を取得し、小説家としてのデビューも重なって、オートバイが仕事につながります。

小説を何冊も出しましたし、オートバイ雑誌に書いたツーリング紀行も本にまとまりました(まさに「趣味と実益を兼ねて」ですね)。

さらに、40歳で大型免許(かつての限定解除)を取得し、今に至っています。

 

肝心なオートバイの魅力について書くスペースがなくなってしまいました。

続きはまた改めて。


2019.11.08 Friday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.122

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.122」


 

岩手町が「ホッケーの町」として全国的に有名なように、アイルランドもホッケーが盛んな国だと知人から聞きました。

アイルランドといえばラグビーが強くて、ワールドカップ・ジャパンでもベスト8という成績でした。

アイルランドにはホッケーとよく似たハーリングという伝統競技がありますから、それでホッケーも盛んなのかもしれません。

 

私は若いころからアイルランドに興味を持ってきました。

というのも、アイルランドは岩手とよく似ているからです。

 

まず、アイルランドは文学の国です。

オスカー・ワイルド(「幸福の王子」をぜひお読みください)、イェイツ(イェイツ編『ケルト妖精物語』は日本のいわば『遠野物語』です)、スウィフト(『ガリバー旅行記』の作者ですね)、ジョージ・オーウェル、バーナード・ショーなどたくさんの文学者を輩出しています。

イギリス出身と私が思っていた作家のほとんどが実はアイルランド人なのです。

岩手は作家が多いことで有名です。

石川啄木、宮澤賢治、金田一京助、野村胡堂、鈴木彦次郎、森荘已池、常盤新平、三好京三、中津文彦、高橋克彦、久美沙織、大村友貴美…とキリがありません。

 

ジョン・F・ケネディもアイルランド系でした。

20世紀半ばのアメリカ社会で、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)以外のものが大統領になるということは天地がひっくり返るような衝撃だったようです(ケネディはカトリック)。

そんなケネディに私は「平民宰相」と呼ばれた原敬を重ねてしまいます。

 

アイルランドは伝説と現実が入り交じっているところなので、今も妖精がそこらをウロついているといいます。

これは『遠野物語』に重なります。

また、アイルランドには古代ヨーロッパの幻の民ケルト人の文化が残っています。

これも蝦夷(さらには縄文)の息吹が濃密な岩手と重なるような気がします。

 

ちょっと脱線すると、アイルランド出身のミュージシャンというとエンヤやチーフタンズ、U2がすぐに思い浮かびます。

ビートルズ・ファンはポール・マッカートニー、ジョン・レノン、リンゴ・スターがアイルランド系であることをご存じでしょう。

ブルースギターが好きな私にとってはロリー・ギャラガーとゲイリー・ムーアが生まれた国として記憶しています。

 

映画ファンならまっさきに名匠ジョン・フォード監督の名を挙げるでしょう。

『スターウォーズ』のリーアム・リーソンも『ジュラシックパーク』のサム・ニールもアイルランド出身です。

 

というわけで、アイルランドはホッケーが盛んだという話題から、連想と空想の羽を広げてみました。


2019.10.11 Friday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.121

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.121」


 

20世紀が「石油の時代」だったのに対して、21世紀は「水の時代」といわれています。

確かに20世紀は石油を巡る紛争が繰り返されました。

21世紀はさらに水を巡る紛争が起こると、多くの学者らが予想したのです。

 

日本で暮らしている私たちは水に恵まれているためピンときませんが、地球規模で見ると、水不足に苦しんでいる人が全人口の半分を占めています。

 

また、自然界の水環境にも大きな変化が起きています。

地球温暖化が「水の循環」に異常をもたらしているのです。

その影響で、日本でも年々、台風や集中豪雨の被害が増えています。

 

先ごろ、国連で気候行動サミットが開かれました。

トランプ米大統領に代表されるように、「地球温暖化」に懐疑的な人も少なくありませんが、世界規模の異常な気候変動は疑いようのない事実です。

その気候変動の原因が地球温暖化なのです。

そして、地球温暖化を招いているのは、ほかならぬ私たちの生活です。

これは実に「不都合な真実」なのですが、もうそこから目を背けるわけにはいきません。

 

国連では、私たち大人が「目を背けている」現実に対してスウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさん(16歳)が堂々と批判する演説をし、世界の注目を集めました。

 

そのようすをテレビのニュースで見ながら、1992年にリオ・デ・ジャネイロで開かれた環境サミットで演説したセヴァン・カリス=スズキ(当時12歳)のことを私は思いだしていました。

彼女の「大変なことが、ものすごい勢いで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなノンキな顔をしています。(中略)どうやって直すのかわからないものを、つづけるのはもうやめてください」という訴えは、悲しいことに(そして、情けないことに)27年後の今もまだ充分に通用します。

 

石神の丘美術館で開催中の『宇田義久展 Aqua』のAquaはラテン語で水のことです。

宇田さんは「振り返ってみると、徐々に川の流れや水の循環に惹かれている自分に気づく」と語っています。

この言葉から私は「炭坑のカナリア」を連想します。

 

昔、炭坑では坑道にカナリアを連れて入っていったそうです。

有毒ガスがあるとカナリアは人間より先に気絶し、危険を知らせてくれます。

それで危機をより早く察知する人を「炭坑のカナリア」というようになりました。

 

思えば、環境活動に長く携わってきた西和賀の瀬川強さんも、世界中を旅して水環境の違いを熟知しているオートバイ紀行作家の藤原かんいちさんも、まるで示し合わせたかのように、水の反映を作品にしています。

彼らも間違いなく「炭坑のカナリア」でしょう。


2019.09.11 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.120

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.120」


 

現在、岩手町立石神の丘美術館で開催中の『大宮政郎展』は、LAST DRAWINGSと銘打っていますが、しばしば「ドローイングって何ですか?」と聞かれます。

 

確かにドローイングは聞き慣れない言葉かもしれません。

けれども、「デッサンのことです」と私が答えると、たいていの方が「なぁんだ」という顔をします。

ドローイングは英語なのです。

フランス語ではデッサンといいます。

 

日本人は漢字、平仮名、片仮名を使い分け、さらに外来語もたくさん使い分けています。

ドローイングとデッサンも外来語の多様な使用例のひとつといえるでしょう。

 

ただ、デッサンは下書きや習作というニュアンスで使われ、ドローイングはそれじたいで完結している作品という捉え方がされているようです(厳密にそういう使い分けのルールがあるわけではありません)。

 

では、私たちが日常的に使っているさまざまな外来語について、思いつくままに挙げてみましょう。

 

お酒のラベルと宛て名ラベルは、レコード(CD)のレーベルと同じLabelです。

ローマ字のヘボン式のスペルはHepburnで、名女優オードリー・ヘップバーンと同じです。

スペルが同じなのに読み方が異なる例はほかにもあります。

モールス信号を発明したモールスと、明治時代に貝塚を発見して日本の考古学の扉を開いたエドワード・モースは同じです。

ついでに記しておくと、モールス信号のモールスは19世紀アメリカ絵画の巨匠モールスと同一人物です。

 

音楽の世界ではもっと大変なことになっています。

 

一般的に使われている「ド・レ・ミ」はイタリア語。強弱を表す「ピアニッシモ」や「フォルテ」などもイタリア語です。

みなさんがコンサートのときに使う「アンコール」もイタリア語です。

 

調性を表す「ハ長調」や「変ホ短調」などは日本語。

これをクラシック音楽の世界ではドイツ語を用いて「ツェー」や「エスモール」といいます。

ギターやピアノのコード(和音)に使われる「C」や「E♭m」は英語です。

 

ちなみに、ドレミファソラシドを日本語ではハニホヘトイロハといいます。

上の例のように、調性を記す際に今も使われています。

こんなに複雑な使い方をしているのは日本だけでしょう。

 

ともあれ、ラスト・ドローイングと銘打った『大宮政郎展』ですが、視力がほとんど失われた今も旺盛な制作活動が続けられていますから、「再びラスト・ドローイング」と銘打った展覧会が開かれるのも遠くなさそうです。

大宮さんはあと10年で100歳になります。

私は密かに『ワンハンドレッド大宮政郎展』を企画しています。


2019.08.08 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.119

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.119」


 

私がジャズを聴き始めたのは高校生のときでした。

高校時代から岩手放送でアルバイトをしていた私は、番組でかけるLPのチェック(演奏時間をストップウォッチで計測しながら、レコードに傷が付いていないか調べるのです)などの作業を通して、ポップスやロックばかりでなく、ジャズにも触れていました。

 

私が高校生だったころは、盛岡市内にジャズ喫茶が4、5軒はありました。

それぞれがマスターの個性を反映して特徴があり、客層も異なりました。

その中で私が通ったのは、八幡町(住所は中の橋通)にあった伴天連茶屋でした。

土蔵を改装したお店でしたので防音効果が高く、音量の大きいジャズ喫茶には最適な環境でした。

 

校則では禁止されていましたが、私は学校帰りに友人たちとよく伴天連茶屋に寄りました。

学生服姿の高校生など迷惑だったでしょうけれど、マスターは決して私たちを追い出したりはしませんでした。

ちょうどそのころ、文藝春秋社から五木寛之全集(全24巻)の刊行が始まりました。

私がのめりこんだ五木寛之の小説世界と伴天連茶屋のジャズはみごとにマッチしていました。

また、伴天連茶屋にはアンノン族と呼ばれていた流行の最先端をゆく若者たちが県内外から集ってきました。

私にとって彼らは「大人の世界」でした。

彼らの世界を垣間見たことが後の私の「糧」になります。

 

大学に入ってからも、夏休みや冬休みのたびに私は岩手放送でアルバイトをしていたので、やはり伴天連茶屋に通いました。

そして、お酒を飲める年齢になると、伴天連茶屋はますます身近な場所になっていきます。

伴天連茶屋は岩手放送にも近かったので、番組に出たミュージシャンの接待をするのにもよく使われていました。

下田逸郎、りりぃ、吉田拓郎、そしてあんべ光俊さんと酒を酌み交わした思い出は私の宝です。

 

もとより、ジャズ喫茶は時空を超越した空間です。

ジャズ喫茶は盛岡にいながらにして東京やニューヨークやロサンゼルスを、ジャズという音楽を通して味わえる場所です。

そういう意味でも、私にとって伴天連茶屋はもうひとつの別の学校でした。

 

私がエフエム岩手東京支社に勤務していた1989年の春に、伴天連茶屋のマスターから「店を閉めることにした。

記念に文集を出すので、何か書いてほしい」と連絡があったときは愕然としました。

その後、たまに旧伴天連茶屋でライヴが開かれたりすると懐かしく訪れたものです。

 

7月14日早朝、漏電による出火によって旧伴天連茶屋は焼失しました。

怪我人がいないのは不幸中の幸いでしたが、私の青春の記憶をとどめている場所がこの世からなくなってしまいました。


2019.07.11 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.118

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.118」


 

岩手町立石神の丘美術館では盛岡市生まれの紀行作家・斎藤潤さんの『斎藤 潤の離島・孤島・絶島・列島巡り紀行』展を開催中です。

島国日本の東西南北に散らばる数多くの島々を巡り歩いている斎藤潤さんならではの世界を(ほんのごく一部ですが)お楽しみください。

また、潤さんが岩手町に滞在して書き下ろした岩手町紀行にもご注目ください。

なお、ロビー(無料)では『斎藤純の北上川サイクリング紀行』を同時開催中です。

北上川源泉の「ゆはずの泉」から河口の石巻まで辿った紀行文とスマホで撮った写真、それにこの旅に使ったロードバイク(自転車)を展示しています。

ちなみに、キャプションは手書きです(悪筆をご笑覧ください)。

 

斎藤潤さんは旅のエキスパートです。

私も旅好きですが、潤さんの経験と見識の前ではその足元にも及びません。

潤さんを始め、私のまわりにはオートバイや自転車で旅をする友人がたくさんいます。

彼らのほとんどは10代のころから旅をしている大ベテランです。

その点、私はみんなよりだいぶ出発が遅れました。

本格的に旅に出るようになったのはオートバイの免許を取った31歳からです(クルマの免許は18歳で取っていますが、クルマは好きだったものの旅に興味はありませんでした)。

もうひとつ付け加えると、初めて自転車で長い旅をしたのは40歳のときでした。

旅人なら20歳になる前に経験しておくべきことを、歳をとってから慌てて追いかけだしたわけです。

 

20代のころまで私は本とレコード(CD)、そして画集と美術館にばかり目が向いていました。

ある先輩作家から「それは、心の旅をしていたということだよ」と半ば冷やかすように言われたことがあります。

ま、当たらずとも遠からずといったところでしょう。

 

それはともかく、私の愛車は当館ロビーに展示中のため、7月末まではサイクリングができません。

もっとも、スケジュールを見るとぎっしり埋まっていて、とうぶん旅には出られそうにありませんから、諦めもつきます(苦笑)。

 

何が忙しいのかというと、今月は私がバンマス(リーダー)をつとめているザ・ジャドウズの本番をひかえているのです。

ザ・ジャドウズはベンチャーズなどのエレキインストとタイガースなどのGS(グループサウンズ)、そしてそれらを合体させたリズム歌謡など昭和40年代の懐かしいサウンドを追及しているバンドです。

今回は「仙台のジュリー」と呼ばれている沢田研史さんをお迎えして、往年のジュリーの名曲・ヒット曲の数々をお届けします。

 

『ザ・ジャドウズmeets沢田研史』は盛岡劇場地下タウンホールにて717日(水)午後7時から。

前売り券(1,000円)は予約可能ですので、盛岡劇場(0196222258)にお問い合わせください。


2019.06.09 Sunday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.117

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.117」


 

毛越寺に招かれ、526日に浄土庭園で開催された「曲水(ごくすい)の宴」に参宴してきました。

 

「曲水の宴」は遣水(やりみず)を浮かべ、流れに合わせて和歌を詠む、平安時代の遊びを再現したもので、毛越寺では古文書に則って「ごくすいのえん」と呼んでいます。

 

参宴者は平安時代の貴族の衣装を身に着けますので、盛岡文士劇の延長みたいなものだろうという気持ちで引き受けたものの、時間が経つにつれて「大変なものを引き受けてしまった」と、つくづく後悔しました。

なにしろ、私は和歌の素養がほとんどありません。

付け焼き刃ながら枕詞を勉強しないといけないと調べはじめると、現在の短歌では枕詞を使わないのだそうです。

言葉遣いについても毛越寺に問い合わせると、万葉風の古語である必要はなく、現代語でいいと言われて、だんだん気持ちが軽くなっていきました。

 

といっても、詠んだこともない和歌を(全国にお披露目されても恥ずかしくないレベルのものを)作らなければならないのですから、荷が軽くなったわけではありません。

しかも、本番では短冊に毛筆で自作を認めるという難関も待ち受けています。

さらに、後になって私は「主客歌人」であると知り、愕然としました。

「そんな話は聞いていない」と怖じ気づいたところで後の祭りです。

 

まず、和歌をいくつか作り、これを岩手県歌人クラブのY先生に送り、選んでもらいました。

「曲水の宴」は毎年、歌題が定められます。

令和最初の「曲水の宴」の歌題は「晴れ」でした。

 

これがいいでしょう、とY先生が選んでくださったのが下記の歌です。

私は添削をしてもらうつもりでいたのですが、字句の訂正などはありませんでした。

 

 新しき 令和寿ぐ 詠み人の

 笑み晴れやかに 曲水の宴

 

この歌を作る上で留意したのは、当日の天候が晴れるとは限らないという点です。

また、「曲水の宴」は、講師(こうじ)が披講(ひこう)といって歌を読みあげるのも大きな特徴です。

ですから、耳で聴いて理解できる歌を心がけました(この点は参宴された岩手県歌人クラブの面々も苦労なさったそうです)。

ちなみに、講師は宮中歌会始でも披講をつとめていらっしゃる久邇朝俊(旧皇族久邇宮家)さんと近衛忠大(旧華族近衛家)さんです。

 

当日はお天気にも恵まれ(暑いくらいでした)、県外はもちろん海外からの観光客もたくさんいらして、盛会のうちに終えることができました。

私もなんとか主客歌人の大役を果たすことができ、安堵のあまり、フワフワと舞う蜉蝣のような態で日々を過ごしています。


2019.05.16 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.116

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.116」


 

平成31年度の最初の企画展『松本伸写真展 distance〜岩手の人1,000人のポートレート〜』が開幕しました。

 

30年のキャリアを持つ松本伸さんは広告写真を撮りながら、ライフワークとして「distance(ディスタンス)」シリーズを撮りつづけてきました。

本展ではその作品群を中心に、岩手県政広報誌「いわてグラフ」の連載時に撮影した作品や「おさんぽ」シリーズと題した作品をご覧いただけます。

また、松本さんは盛岡の冬の風物詩である盛岡文士劇の常連出演者でもあります。

舞台出演のかたわら、稽古風景や楽屋などで撮った写真は貴重な記録資料となっています。

 

日本ではこれまでに何度か写真ブームがありました。

写真ブームはカメラブームでもありました。

昭和の終わりごろから平成の初めにかけてのレンズ付きフィルムカメラ「写ルンです」ブームは社会現象にもなり、その後のデジタルカメラの普及はカメラからフィルムを駆逐しました。

そして、携帯電話やスマートフォンに内蔵されたカメラによって誰もが気軽にシャッターを押す時代になり、写真はこれまでになく身近な存在となっています。

 

このような時代にあって、撮影前に深い思考を経る松本伸さんの姿勢は、プロカメラマンではない私たちも学ぶべきことが多いように思います。

それは、撮影対象との接し方や距離感(これがdistanceの由来となっています)など、実は写真以外のこと、つまり私たちの「生き方」に応用ができそうなことばかりです。

 

松本さんの作品は観るものの気持ちを穏やかにさせます。

展覧会場から出てくるみなさんの表情にそれが如実にあらわれています。

日本ではとかく「芸術とは人間の闇の部分を描く」ものと思われがちですが、松本伸さんの作品はその対極に位置していると言っていいかもしれません。

それでいて、決して軽くはありません。

松本伸さんの写真に対する姿勢が反映されているからでしょう。

 

会期中に元号は令和になりますので、本展は石神の丘美術館にとって平成最後の展覧会となります。

令和には「明日への希望と共に、日本人1人ひとりが大きな花を咲かせる」という意味が込められているそうです。

松本伸さんの作品の世界そのものであり、本展はまさに令和の初めに相応しい展覧会といえます。


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