最新情報・ブログ
2018.07.14 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.106

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.106」


 

先月、今年は花のつきがいいと書きました。

その後、ヤマボウシがみごとに花をつけました(あれは花ではなく、ガクだそうですが)。

クリの木もたくさんの花をつけ、初夏の香りを放っています。

今年は「花の当たり年」と言っていいようです。

石神の丘美術館のラベンダーも例外ではなく、濃い紫色の花が咲き誇り、爽やかな香りを放っています。

 

石神の丘美術館は、昨年につづいて今年も「ふれあいグリーンキャンペーン」の対象に選ばれ、過日、岩手トヨペット(盛岡市)からラベンダーの苗木200本を寄贈していただきました。

岩手トヨペットの元持雅行社長、佐々木光司町長、「緑の大使」を務める2018ミス・インターナショナル日本代表の杉本雛乃さんらが出席して盛大な寄贈式が行われ、ラベンダーの苗木と社員の寄付金10万円をちょうだいしました。

ラベンダーは南側斜面の階段沿いに植え、徒歩による来館者をお迎えします。

寄付金は今後の美術館整備に有効活用させていただくことになっています。

ここに記し、改めて感謝申し上げます。

岩手中央幼稚園の子どもたちとラベンダー植樹を行う予定でしたが、強い風雨のため中止となったのは残念でした。

 

石神の丘美術館はこのように官民(岩手町、企業、住民)が協力しあって、今日まで歩んできました。

これらの活動が「恋人の聖地」を主宰するNPO法人「地域活性化支援センター」から高く評価され、今年は「恋人の聖地観光交流審査員賞」を受賞しています。

 

石神の丘美術館屋外展示場は今秋から閉鎖し、ラベンダー園や恋人の聖地、散策路を整備する工事に入ります。

この整備事業にあたっても、専門家による検討委員会を2011年に設置。

2013年にまとめられた提言書とその後に開催された町民との懇話会などをもとに進められています。

このような手法も先進的な取り組みと言っていいでしょう。


2018.06.06 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.105

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.105」


 

黄金連休中に、関東関西方面から2組の友人グループが岩手にやってきました。

1組はオートバイの仲間です。

「小岩井の一本桜」と八幡平アスピーテラインの雪の壁が目当てだったのですが、小岩井は大渋滞中と聞いていたので、上坊牧野の一本桜に案内しました。

一本桜はまだ蕾でしたが、まわりの広大な牧野の景色と相まって、とても喜ばれました。

さらに、八幡平アスピーテラインのダイナミックな景観と雪の壁もさることながら、松川の水芭蕉群に強く感銘を受けたようです。

岩手は初めてという方もいて、「いいところに住んでますね」と羨ましがられました。

 

もう1組は、サイクリングの仲間です。

初心者も含まれていたので、平坦なルートを選ぶことにし、北上の展勝地に向かいました。

「さくらまつり」を開催中の展勝地では、みごとな桜並木に加えて、花魁道中や鬼剣舞も見ることができました。

往復の道も「絶景ですね」と、終始、感激しどおしだったようです(私たち地元のものにとっては実にありふれた景色なのですが)。

 

2組が共通して口にしたのは、山が美しいということでした。

他に先駆けて新緑を迎えるブナと残雪のコントラスト、まだ冬枯れの様相を残す林の中でひときわ目立つコブシの白い花。

特に今年はコブシの花のつきがよかったように思います。

 

黄金連休が終わってしばらくすると、ヤマフジが紫色の花をびっしりとつけました。

盛岡の街なかでは白い躑躅がいつもよりたくさん花をつけました。

満開のリンゴの花を見て、今年は白い花の当たり年なのではないかと思いました。

もしそうなら、私の好きなハリエンジュ(ニセアカシア)も、あのいい香りを放つ花をいっぱい咲かせるに違いないでしょう。

 

実は私は40歳近くなるまで、花にも木にも野鳥にもあまり興味がありませんでした。

自然がつくったそれらの美よりも、人がつくった美(絵画や音楽)への興味が強かったのです。

今もなおその傾向はありますが、春から初夏にかけての野山を目にすると、自然にはかなわないと溜め息をつくようになりました。

私にとってこれは大きな変化です。

年齢の積み重ねによる変化だと思います。


2018.05.15 Tuesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.104

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.104」


 

小学校のころから高校を卒業するまで私は教師から一貫して「集中力がない、飽きっぽい」と注意を受けつづけました。

授業中、いつも窓の外をぼんやり眺めてばかりいたのですから、叱られるのも無理はありません。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、今も私は大事な会議のさなかに窓の外を眺めていることがあります。

困ったものです。

 

けれども、「飽きっぽい」はずの私が十代半ばで始めたギターを今も愛好しているのは不思議です。

それは簡単に言うなら、「好きなものは飽きないが、嫌いなものはすぐに飽きる」ということでしょう。

つまり、授業は嫌いだったのです。

だから、もし授業を好きになっていたら、私はどれだけ勉強したことか。

布団代わりにギターをかけて寝るほど熱中したように勉強に熱中していたら今ごろはノーベル賞・・・・・・いえ、冗談です。

 

ターから離れた時期もありましたが(10数年間、私はギターにまったく触れませんでした)、15年ほど前から再開しました。

いったん火がつくと止まりません。

3年前、とうとうバンドを組んで、ステージに立つようにもなりました。

これまでに「もりげきライヴ」に2回、盛岡市内のライヴハウスに1回、一関文化センターの恒例「全日本エレキ音楽祭」に2回、出場しています。

そのほか企業のパーティに呼ばれたり、そうそう、一昨年は道の駅石神の丘開業祭のアトラクションに呼んでいただきました。

 

そのバンド「ザ・ジャドウズ」と盛岡の老舗ロックバンド「にじむらさき」の混成バンド「ザ・パープルジャドウズ」のコンサートを5月16日(水)午後7時から盛岡劇場タウンホールで行います(第281回もりげきライヴ)

懐かしいベンチャーズの曲、タイガースやテンプターズなどのグループサウンズ、ピンキーとキラーズのあの名曲などをお楽しみください。

売り券1000円(当日1200円)です。


2018.04.07 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.103

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.103」


 

新年度になりました。

進学、入学の月でもあります。

 

両親によると、小学校に入ったばかりのころの私は「カタカナの読み書きしかできず、先生を困惑させた」といいます。

漢字はひとつも書けなかったそうです。

 

カタカナを得意とした理由は明らかです。

私は子どものころに映画館、パチンコ店、レストランなどが立ち並ぶ賑やかな繁華街で暮らしていました。

両親は朝から晩まで映画館で共働きでしたから、私は一人で繁華街をよく遊び歩いていたようです。

 

ある夜、夕食時を過ぎても私が家に帰ってこないので、さすがに心配になり、ご近所さんや友人らと手分けをして探しまわったところ、あるスナックのカウンターでホステスを両側にはべらせてレモンスカッシュを飲んでいたというのです。

私は小学校に入る前から喫茶店やスナック(あるいはバー)に入り浸っていたらしいのです(三つ子の魂百まで、という声があちこちから聞こえてきそうですが…)。

 

喫茶店やスナックのメニューはカタカナです。

それで私は幼稚園のころからカタカナだけは読めたというのです。

 

少し成長して小学校も高学年になりますと、私は映画に出てくるクルマ、オートバイ、そして拳銃などの武器に異常なほどの興味を持つようになります。

それらの知識を得るために大人向けの専門誌を講読しはじめました。

 

中学に進むと、映画の原作であるスパイ小説や第二次世界大戦の戦記ものも読むようになりました。

しばしば授業中に隠れて小説を読んでいるところを先生に見つかっては職員室に呼ばれて説教をされました。

決して褒められたことではないものの、これらの読書体験が私の「国語力」をいっきに高めることになったのは確かです。


2018.03.11 Sunday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.102

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.102」


 

先月はジャズとの出会いについて、私も懐かしい思いに浸りながら振り返りました。

今月はジャズという音楽そのものについて簡単に書いてみたいと思います。

 

ジャズのルーツは…などということは書きません。

ジャズのルーツを知るよりも、まずジャズの魅力を知ることのほうが先だからです。

ジャズは即興音楽です。

ある一定の決め事にさえ従えば、あとはそれぞれのミュージシャンの裁量、技術、感覚にまかされ、自由に演奏されます(ちなみに、ジャズの歴史はその自由度が拡大していく変化の歴史でもあるのです)。

 

そういう意味で、規則にがんじがらめのクラシック音楽とは対極に位置する音楽といえるかもしれません(なにしろ、クラシック音楽は楽譜通りに演奏しなければ成立しませんが、ジャズにはそんな決まりもありません)。

ところが、クラシックとまったく関係がないかというと、決してそうではありません。

ジャズは地球上のあらゆる音楽を取り入れて発展してきたのです。

 

いつだったか、ジャズトランペッターの岡崎好郎さんのリハーサルを聴く機会があり、そのときチャーリー・パーカー(モダンジャズの開祖というべきサックス奏者の偉人)とおぼしきフレーズが聴こえてきたので「おっ、パーカーですか」と訊いたら、「そう思うでしょう。ところがこれが実はバッハなんですよ」ということがありました。

 

さて、これからジャズを聴いてみようと思っている方は、ジャズ入門書などは買わず、その分、CDを一枚でも多く買って、闇雲に聴きまくってください。

間違っても、ジャズの歴史を初期からなぞるような聴き方をしてはいけません。

まず自分好みのジャズと出会うことが肝要です。

手当たり次第に聴いているうちに、自分にフィットするジャズが見つかるでしょう。

好きな楽器にしぼって聴いてみるのもいいでしょう。

私はジャズをギターから聴き始めましたが、今はトランペットが好きです。

 

一番のお勧めは生演奏(ライブ)を聴くことです。

盛岡のすぺいん倶楽部やジョニーでライブを体験してください。

また、岩手県民会館で毎年開催している『いわてJAZZ』で国内外の一流ジャズメンの演奏を聴くこともお勧めです。

ジャズのことが何にもわからなくても、生身の人間が目の前で演奏するライブ演奏はCD100枚分に匹敵する情報と刺激を与えてくれます(これは何もジャズに限ったことではないのですが)。

 

石神の丘美術館でもジャズ・ライブをいつか実現したいと考えています。


2018.02.03 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.101

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.101」


 

この連載で何度かクラシックのことを書いていますが、ジャズについてまだ書いていないと気がつきました。

私にとってジャズはクラシックよりもずっと長く深い付き合いがあるのに迂闊でした。

 

これまでに何度も触れたように、私の自宅は映画館の中にありましたので、映画音楽を聴いて育ちました。

クラシックもジャズも映画音楽として私の耳に入っていたわけで、特にクラシックであるとかジャズであるとか意識してはいませんでした。

 

そんな私がジャズを意識して聴くようになったのは高校生になってからです。

私は学校での授業よりも学外での授業を重視するタイプの生徒だったので(つまり、不良高校生ということです)、授業が終わるとクラブ活動(一応、バスケットボール部に籍だけは入っていました)にも出ずに、伴天連茶屋というジャズ喫茶に一目散に向かう毎日でした。

高校に進学するのと同時に岩手放送ラジオでアルバイトをしていましたから、ジャズ喫茶に入り浸るくらいの小遣いは自分で稼いでいたのです。

 

土蔵を改造したそのジャズ喫茶には、いつも怪しげな大人たちが屯していました。

その大人たちとは、後に劇作家として活躍するおきあんご氏や、水彩画の巨匠となる藤井勉さんたちなわけですが、その当時はそんなことはまだわかりません。

私はそんな大人たちの中に混じって、何かいっぱしのことを語り合っていました。

店内に流れるジャズよりも、むしろそういうことが楽しかったのです。

 

夏休みや春休みのシーズンになると、東京から最新流行のファッションに身を包んだ若者たち(雑誌「アンアン」、「ノンノ」の影響からアンノン族と呼ばれていました)がやってきます。

そんな人たちと接することができるのも伴天連茶屋の魅力でした。

 

そうこうしているうちにジャズにも詳しくなっていき(というよりも、体にジャズが染みこんでいったのです)、高校を卒業するころには一端のジャズマニアになっていました。

 

また、それまで本格的なコンサートホールがなかった盛岡に岩手県民会館ができ、アメリカから有名なジャズメンが来るようになりました。

父は映画館勤めを辞め、岩手県民会館の職員になっていたので、裏からもぐりこませてもらって(ホントはいけないのですが、もう時効でしょう)、いろんなコンサートを聴きました。

 

私の高校・大学時代は盛岡市内にジャズ喫茶が5軒はありました。

盛岡のジャズの黄金時代だったのです。

そして、それぞれのジャズ喫茶に個性があり、常連客の顔ぶれも違いました。

そういう違いもジャズ喫茶に行く理由のひとつであり、私は大きな影響を受けました。

 

つまり、ジャズは地方の小さな都市においても単なる音楽ではなく、ある意味で文化の核となっていたのです。


2018.01.11 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.100

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.100」


 

言語学者の金田一秀穂さん(祖父は金田一京助、父は金田一春彦)が、このごろ「無駄の効用」というお話をよくされています。

年末に成功裏に終えた盛岡文士劇の舞台挨拶でも「効率を考えたらこんな無駄なものはないでしょう。でも、この無駄がみなさんの心を豊かにするんです」とおっしゃいました。

いつだったか、講演でも「無駄はいけないという発想をやめましょう。一見、無駄なことが社会に潤いを与えているのです」と力説なさっていました。

「無駄こそ大切」は金田一さん流の哲学と言っていいでしょう。

 

話は飛びますが、義父からニコンSという古いカメラをもらいました。

私が生まれる前に製造されたモデルで、現在の貨幣価値に換算すると80万円近くしたシロモノです。

1.4という素晴らしく明るいレンズが付いているのですが、すべてマニュアル操作(露出計さえ付いていません)、もちろんフィルムです。

これを使いこなすには相当な鍛練が必要そうです。

今年はこれに挑戦しようと思っています。

実用にはデジカメのほうが向いていますし、日常的にはiPhoneのカメラで充分に用が足りていますから、今さらあえてフィルムの(しかも旧式の)カメラを手にする必要はありません。

それこそ無駄の極致でしょう。

 

ところで、この連載が今回で第100回を迎えました。

1回(ishibi通信200941日発行Vol.78)は芸術監督就任の挨拶に始まり、まだ冬枯れの石神の丘(屋外展示場)の散策路がお気に入りの場所であると記し、京都の「哲学の道」を真似て「思索の道」と命名しています(その後、フィールド生理心理実験に基づいた科学的効果の検証がなされて「森林セラピーロード」に認定されました)。

 

美術館が発行しているのだから、このコラムも美術のことを書くのが本筋なのでしょうけれど、美術について専門的なことはほとんど書いていません。

たまにカタい内容(環境問題や文化行政など)にも触れていますが、多くは旅行のこと、クルマやオートバイ、音楽のこと、身辺雑記などあまり役に立ちそうにないことばかりです。

 

金田一さんならきっと「こういう無駄が大切なんだ」と褒めてくれることでしょう。

そんなわけで、これからもこのコラムをよろしくお願いします。


2017.12.06 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.99

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.99」


 

ガソリンエンジンと電気モーターの組み合わせによって、ガソリン消費量を大幅に減らしたハイブリッドカー。

その先駆けであるトヨタ・プリウスが、誕生20周年を迎えたそうです。

 

初代プリウスに私は2001年から今年の春先まで乗っていました。

当初は珍しがられ、「盛岡の寒い冬でも駆動用バッテリーは大丈夫ですか?」などと訊かれることもたびたびでした。

 

また、スポーツカーばかり乗り継いできた私がエコカーに乗り換えたので、友人たちが「なんでまた!」と驚きました。

「DOHCも12気筒も今や珍しくない。ハイブリッドエンジンはポルシェもフェラーリも持っていないんだぞ」と応じたものです。

気候異常変動(地球温暖化)や中東情勢など原油が引き起こす諸問題に敏感だった私は内心で「もうスポーツカーの時代ではない」と思っていました。

これは「化石燃料がスターの時代は終わった」という意味です。

 

やがてモータースポーツの世界で、ル・マン24時間耐久レースにハイブリッドカーのカテゴリーができ、電気自動車によるF1レースのフォーミュラEが誕生しました。

「もうスポーツカーの時代ではない」ではなく、「スポーツカーもエコカーの時代」に移り変わってきたのです。

そして、かつては物珍しがられたプリウスが、今では日本で一番売れている車なのですから、世の中、変われば変わるものです。

 

ところで、私はいつかまたスポーツカーに乗りださないともかぎりません。

というのも、私には別の「前科」があります。

前科というのは、大学を卒業するときに「もう音楽は聴くだけにする」とギターを処分したのに、それからほぼ20年後にギターを再開し、今ではバンド活動に熱中し、ギター・コレクションも増えているという事実です。

 

付け加えておくと、環境問題から関心をなくしたわけではありません。

ゴミを増やさないためにマイ箸、マイ水筒を20年以上前から使いつづけていますし、節電が習慣になっているおかげで我が家の電気使用料は平均を大きく下回っています。

冬の我が家は寒いので、室内でも厚着をしています。

 

先日、冬物の衣類を出し、夏物を仕舞いました。

忙しさにかまけてついつい先のばしにしていたのですが、気温の低い日がつづいて、慌てました。

去年着なかったものは捨てるという「断捨離」を今年も決行しましたが、この話はまた別の機会に譲りましょう。


2017.11.10 Friday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.98

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.98」


 

先日、愛用の万年筆が見つからなくなって、家中を半日ほど探しまわりました。

原稿はすべてパソコンで書いていますから、万年筆がなくても困らないのですが……。

 

私がパソコンを使いはじめたのは1998年でした。

インターネットを利用するためにパソコンを導入したのです。

その15年以上前からワープロを使っていてキーボードには慣れていましたから、パソコンにもすぐに対応できました。

ワープロの場合は書き上げた原稿をプリントアウト(紙に印字)して、それをファクスしていましたが、インターネットを利用することで紙が不要になりました。

 

そのころ、パソコンで原稿を書いていた作家はごく少数でした。

インターネットをいち早く取り入れたのは、やはりSF作家でした。

そして、SF専門誌を発行していた早川書房だけが、インターネットで原稿のやりとりをしていました。

ほかの出版社では個人でパソコンを使っている編集者はいましたが、会社で導入していたところはなく、私の記憶では講談社が1999年にパソコンを導入し、他社もそれに続きました。

 

当時はインターネットの使用料が高く(電話回線と同じで3分間10円)、原稿を送るときだけ接続したものです。

しかも速度がひじょうに遅かったので、写真など大きなデータを送るのはまだ現実的ではありませんでした。

やがてADSLを経て、現在の光通信へと進化しました。

 

ワープロを私が早くから導入したのは、盛岡在住の作家中津文彦さんと高橋克彦さんがやはりワープロをお使いになっていたからです。

お二人と知り合ったころ、私はまだ小説家としてデビューしていませんでしたが、ワープロを見せていただいてすぐに使いはじめました。

もう35年も前のことです。

 

それでも私は万年筆を常にそばに置いています。

高価なものではなく、一本1000円程度の安物ですが、お気に入りの品です。

一方、どんなに便利であってもパソコンに愛着を持つことはないのですから不思議です。

 

なかなか見つからなかった万年筆は、背広の内ポケットに入っていました。


2017.10.07 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.97

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.97」


 

前回に続いて、本の話です。

 

私が1988(昭和63)年に『テニス、そして殺人者のタンゴ』で講談社からデビューしたとき、岩手日報の学芸記者が古い新聞のコピーを持ってきくれました。

それは、かつて岩手日報が主催していた読書感想文コンクールの記事でした。

コンクールに入選した小学生による座談会が載っていて、その中に小学生6年生の私がいたのです。

それを見せられるまで、私はそのことをすっかり忘れていました。

いえ、記事を見ても自分のこととは思えませんでした。

読書家だったという記憶がないのです。

 

私の家では父も母もよく本を読んでいました。

『オール読物』などの月刊文芸誌や『暮らしの手帖』などの月刊雑誌が家にはいつもありました。

しかし、絵を描いていたことと自転車をよく乗り回していたことの記憶に比べたら、読書に関しては実に曖昧です。

学校の図書館にあったSF小説を読んでいたことは覚えていますが(それらは都筑道夫や平井和正らSF小説の巨匠が子ども向けに書いていていたものだと後になって知ることになります)、読書感想文の対象にはなりそうにありません。

 

いずれにしても、両親が本を読んでいる姿に触発されて、私も本を読むようになったのでしょう。

読書週間(月間)だからとか、読書感想文を書くためにといった強制的な読書だったら、身につかなかったと思います。

私の家では、ふだんの生活に中に読書があったのです。

そういう意味で、読書のきっかけをつくってくれた両親に感謝しています。

 

さて、話は美術館に飛びます。

 

ある調査で、美術館に来ている方のうち、ほとんどの方は子どものころに学校の行事で、あるいは両親に連れてきてもらったことがあるという結果が出ています。

子どものころに美術館を経験していると、美術館に行く習慣が身につきやすいということを示しています。

逆に、子どものころに経験していないと美術館に敷居の高さを感じてしまい、行きにくくなるようです。

 

岩手町では、町内の小中学生が1年に1度必ず石神の丘美術館を見学することになっています。

美術館は「美術の勉強をするところ」ではありません。

多様な文化に触れ、想像力を伸ばす場なのです。

もっと簡単に言うと「美術が必ずしも一様ではないのと同じように、世の中にはたくさんの文化がある」ことを知ったうえで、「多様な文化をどのように理解して接すればよいのかを考えるきっかけとなる場」です。

美術館を経験した子どもと、そうでない子どもは、社会に出てから何らかの違いが出てくると私は思っています。

 

読書の習慣のある子どもとそうでない子どもの違いは、説明する必要がないでしょう。


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