最新情報・ブログ
2018.05.15 Tuesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.104

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


********************************************************************

石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.104」


 

小学校のころから高校を卒業するまで私は教師から一貫して「集中力がない、飽きっぽい」と注意を受けつづけました。

授業中、いつも窓の外をぼんやり眺めてばかりいたのですから、叱られるのも無理はありません。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、今も私は大事な会議のさなかに窓の外を眺めていることがあります。

困ったものです。

 

けれども、「飽きっぽい」はずの私が十代半ばで始めたギターを今も愛好しているのは不思議です。

それは簡単に言うなら、「好きなものは飽きないが、嫌いなものはすぐに飽きる」ということでしょう。

つまり、授業は嫌いだったのです。

だから、もし授業を好きになっていたら、私はどれだけ勉強したことか。

布団代わりにギターをかけて寝るほど熱中したように勉強に熱中していたら今ごろはノーベル賞・・・・・・いえ、冗談です。

 

ターから離れた時期もありましたが(10数年間、私はギターにまったく触れませんでした)、15年ほど前から再開しました。

いったん火がつくと止まりません。

3年前、とうとうバンドを組んで、ステージに立つようにもなりました。

これまでに「もりげきライヴ」に2回、盛岡市内のライヴハウスに1回、一関文化センターの恒例「全日本エレキ音楽祭」に2回、出場しています。

そのほか企業のパーティに呼ばれたり、そうそう、一昨年は道の駅石神の丘開業祭のアトラクションに呼んでいただきました。

 

そのバンド「ザ・ジャドウズ」と盛岡の老舗ロックバンド「にじむらさき」の混成バンド「ザ・パープルジャドウズ」のコンサートを5月16日(水)午後7時から盛岡劇場タウンホールで行います(第281回もりげきライヴ)

懐かしいベンチャーズの曲、タイガースやテンプターズなどのグループサウンズ、ピンキーとキラーズのあの名曲などをお楽しみください。

売り券1000円(当日1200円)です。


2018.04.07 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.103

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


********************************************************************

石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.103」


 

新年度になりました。

進学、入学の月でもあります。

 

両親によると、小学校に入ったばかりのころの私は「カタカナの読み書きしかできず、先生を困惑させた」といいます。

漢字はひとつも書けなかったそうです。

 

カタカナを得意とした理由は明らかです。

私は子どものころに映画館、パチンコ店、レストランなどが立ち並ぶ賑やかな繁華街で暮らしていました。

両親は朝から晩まで映画館で共働きでしたから、私は一人で繁華街をよく遊び歩いていたようです。

 

ある夜、夕食時を過ぎても私が家に帰ってこないので、さすがに心配になり、ご近所さんや友人らと手分けをして探しまわったところ、あるスナックのカウンターでホステスを両側にはべらせてレモンスカッシュを飲んでいたというのです。

私は小学校に入る前から喫茶店やスナック(あるいはバー)に入り浸っていたらしいのです(三つ子の魂百まで、という声があちこちから聞こえてきそうですが…)。

 

喫茶店やスナックのメニューはカタカナです。

それで私は幼稚園のころからカタカナだけは読めたというのです。

 

少し成長して小学校も高学年になりますと、私は映画に出てくるクルマ、オートバイ、そして拳銃などの武器に異常なほどの興味を持つようになります。

それらの知識を得るために大人向けの専門誌を講読しはじめました。

 

中学に進むと、映画の原作であるスパイ小説や第二次世界大戦の戦記ものも読むようになりました。

しばしば授業中に隠れて小説を読んでいるところを先生に見つかっては職員室に呼ばれて説教をされました。

決して褒められたことではないものの、これらの読書体験が私の「国語力」をいっきに高めることになったのは確かです。


2018.03.11 Sunday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.102

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


********************************************************************

石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.102」


 

先月はジャズとの出会いについて、私も懐かしい思いに浸りながら振り返りました。

今月はジャズという音楽そのものについて簡単に書いてみたいと思います。

 

ジャズのルーツは…などということは書きません。

ジャズのルーツを知るよりも、まずジャズの魅力を知ることのほうが先だからです。

ジャズは即興音楽です。

ある一定の決め事にさえ従えば、あとはそれぞれのミュージシャンの裁量、技術、感覚にまかされ、自由に演奏されます(ちなみに、ジャズの歴史はその自由度が拡大していく変化の歴史でもあるのです)。

 

そういう意味で、規則にがんじがらめのクラシック音楽とは対極に位置する音楽といえるかもしれません(なにしろ、クラシック音楽は楽譜通りに演奏しなければ成立しませんが、ジャズにはそんな決まりもありません)。

ところが、クラシックとまったく関係がないかというと、決してそうではありません。

ジャズは地球上のあらゆる音楽を取り入れて発展してきたのです。

 

いつだったか、ジャズトランペッターの岡崎好郎さんのリハーサルを聴く機会があり、そのときチャーリー・パーカー(モダンジャズの開祖というべきサックス奏者の偉人)とおぼしきフレーズが聴こえてきたので「おっ、パーカーですか」と訊いたら、「そう思うでしょう。ところがこれが実はバッハなんですよ」ということがありました。

 

さて、これからジャズを聴いてみようと思っている方は、ジャズ入門書などは買わず、その分、CDを一枚でも多く買って、闇雲に聴きまくってください。

間違っても、ジャズの歴史を初期からなぞるような聴き方をしてはいけません。

まず自分好みのジャズと出会うことが肝要です。

手当たり次第に聴いているうちに、自分にフィットするジャズが見つかるでしょう。

好きな楽器にしぼって聴いてみるのもいいでしょう。

私はジャズをギターから聴き始めましたが、今はトランペットが好きです。

 

一番のお勧めは生演奏(ライブ)を聴くことです。

盛岡のすぺいん倶楽部やジョニーでライブを体験してください。

また、岩手県民会館で毎年開催している『いわてJAZZ』で国内外の一流ジャズメンの演奏を聴くこともお勧めです。

ジャズのことが何にもわからなくても、生身の人間が目の前で演奏するライブ演奏はCD100枚分に匹敵する情報と刺激を与えてくれます(これは何もジャズに限ったことではないのですが)。

 

石神の丘美術館でもジャズ・ライブをいつか実現したいと考えています。


2018.02.03 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.101

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


********************************************************************

石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.101」


 

この連載で何度かクラシックのことを書いていますが、ジャズについてまだ書いていないと気がつきました。

私にとってジャズはクラシックよりもずっと長く深い付き合いがあるのに迂闊でした。

 

これまでに何度も触れたように、私の自宅は映画館の中にありましたので、映画音楽を聴いて育ちました。

クラシックもジャズも映画音楽として私の耳に入っていたわけで、特にクラシックであるとかジャズであるとか意識してはいませんでした。

 

そんな私がジャズを意識して聴くようになったのは高校生になってからです。

私は学校での授業よりも学外での授業を重視するタイプの生徒だったので(つまり、不良高校生ということです)、授業が終わるとクラブ活動(一応、バスケットボール部に籍だけは入っていました)にも出ずに、伴天連茶屋というジャズ喫茶に一目散に向かう毎日でした。

高校に進学するのと同時に岩手放送ラジオでアルバイトをしていましたから、ジャズ喫茶に入り浸るくらいの小遣いは自分で稼いでいたのです。

 

土蔵を改造したそのジャズ喫茶には、いつも怪しげな大人たちが屯していました。

その大人たちとは、後に劇作家として活躍するおきあんご氏や、水彩画の巨匠となる藤井勉さんたちなわけですが、その当時はそんなことはまだわかりません。

私はそんな大人たちの中に混じって、何かいっぱしのことを語り合っていました。

店内に流れるジャズよりも、むしろそういうことが楽しかったのです。

 

夏休みや春休みのシーズンになると、東京から最新流行のファッションに身を包んだ若者たち(雑誌「アンアン」、「ノンノ」の影響からアンノン族と呼ばれていました)がやってきます。

そんな人たちと接することができるのも伴天連茶屋の魅力でした。

 

そうこうしているうちにジャズにも詳しくなっていき(というよりも、体にジャズが染みこんでいったのです)、高校を卒業するころには一端のジャズマニアになっていました。

 

また、それまで本格的なコンサートホールがなかった盛岡に岩手県民会館ができ、アメリカから有名なジャズメンが来るようになりました。

父は映画館勤めを辞め、岩手県民会館の職員になっていたので、裏からもぐりこませてもらって(ホントはいけないのですが、もう時効でしょう)、いろんなコンサートを聴きました。

 

私の高校・大学時代は盛岡市内にジャズ喫茶が5軒はありました。

盛岡のジャズの黄金時代だったのです。

そして、それぞれのジャズ喫茶に個性があり、常連客の顔ぶれも違いました。

そういう違いもジャズ喫茶に行く理由のひとつであり、私は大きな影響を受けました。

 

つまり、ジャズは地方の小さな都市においても単なる音楽ではなく、ある意味で文化の核となっていたのです。


2018.01.11 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.100

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


********************************************************************

石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.100」


 

言語学者の金田一秀穂さん(祖父は金田一京助、父は金田一春彦)が、このごろ「無駄の効用」というお話をよくされています。

年末に成功裏に終えた盛岡文士劇の舞台挨拶でも「効率を考えたらこんな無駄なものはないでしょう。でも、この無駄がみなさんの心を豊かにするんです」とおっしゃいました。

いつだったか、講演でも「無駄はいけないという発想をやめましょう。一見、無駄なことが社会に潤いを与えているのです」と力説なさっていました。

「無駄こそ大切」は金田一さん流の哲学と言っていいでしょう。

 

話は飛びますが、義父からニコンSという古いカメラをもらいました。

私が生まれる前に製造されたモデルで、現在の貨幣価値に換算すると80万円近くしたシロモノです。

1.4という素晴らしく明るいレンズが付いているのですが、すべてマニュアル操作(露出計さえ付いていません)、もちろんフィルムです。

これを使いこなすには相当な鍛練が必要そうです。

今年はこれに挑戦しようと思っています。

実用にはデジカメのほうが向いていますし、日常的にはiPhoneのカメラで充分に用が足りていますから、今さらあえてフィルムの(しかも旧式の)カメラを手にする必要はありません。

それこそ無駄の極致でしょう。

 

ところで、この連載が今回で第100回を迎えました。

1回(ishibi通信200941日発行Vol.78)は芸術監督就任の挨拶に始まり、まだ冬枯れの石神の丘(屋外展示場)の散策路がお気に入りの場所であると記し、京都の「哲学の道」を真似て「思索の道」と命名しています(その後、フィールド生理心理実験に基づいた科学的効果の検証がなされて「森林セラピーロード」に認定されました)。

 

美術館が発行しているのだから、このコラムも美術のことを書くのが本筋なのでしょうけれど、美術について専門的なことはほとんど書いていません。

たまにカタい内容(環境問題や文化行政など)にも触れていますが、多くは旅行のこと、クルマやオートバイ、音楽のこと、身辺雑記などあまり役に立ちそうにないことばかりです。

 

金田一さんならきっと「こういう無駄が大切なんだ」と褒めてくれることでしょう。

そんなわけで、これからもこのコラムをよろしくお願いします。


2017.12.06 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.99

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


********************************************************************

石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.99」


 

ガソリンエンジンと電気モーターの組み合わせによって、ガソリン消費量を大幅に減らしたハイブリッドカー。

その先駆けであるトヨタ・プリウスが、誕生20周年を迎えたそうです。

 

初代プリウスに私は2001年から今年の春先まで乗っていました。

当初は珍しがられ、「盛岡の寒い冬でも駆動用バッテリーは大丈夫ですか?」などと訊かれることもたびたびでした。

 

また、スポーツカーばかり乗り継いできた私がエコカーに乗り換えたので、友人たちが「なんでまた!」と驚きました。

「DOHCも12気筒も今や珍しくない。ハイブリッドエンジンはポルシェもフェラーリも持っていないんだぞ」と応じたものです。

気候異常変動(地球温暖化)や中東情勢など原油が引き起こす諸問題に敏感だった私は内心で「もうスポーツカーの時代ではない」と思っていました。

これは「化石燃料がスターの時代は終わった」という意味です。

 

やがてモータースポーツの世界で、ル・マン24時間耐久レースにハイブリッドカーのカテゴリーができ、電気自動車によるF1レースのフォーミュラEが誕生しました。

「もうスポーツカーの時代ではない」ではなく、「スポーツカーもエコカーの時代」に移り変わってきたのです。

そして、かつては物珍しがられたプリウスが、今では日本で一番売れている車なのですから、世の中、変われば変わるものです。

 

ところで、私はいつかまたスポーツカーに乗りださないともかぎりません。

というのも、私には別の「前科」があります。

前科というのは、大学を卒業するときに「もう音楽は聴くだけにする」とギターを処分したのに、それからほぼ20年後にギターを再開し、今ではバンド活動に熱中し、ギター・コレクションも増えているという事実です。

 

付け加えておくと、環境問題から関心をなくしたわけではありません。

ゴミを増やさないためにマイ箸、マイ水筒を20年以上前から使いつづけていますし、節電が習慣になっているおかげで我が家の電気使用料は平均を大きく下回っています。

冬の我が家は寒いので、室内でも厚着をしています。

 

先日、冬物の衣類を出し、夏物を仕舞いました。

忙しさにかまけてついつい先のばしにしていたのですが、気温の低い日がつづいて、慌てました。

去年着なかったものは捨てるという「断捨離」を今年も決行しましたが、この話はまた別の機会に譲りましょう。


2017.11.10 Friday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.98

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


********************************************************************

石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.98」


 

先日、愛用の万年筆が見つからなくなって、家中を半日ほど探しまわりました。

原稿はすべてパソコンで書いていますから、万年筆がなくても困らないのですが……。

 

私がパソコンを使いはじめたのは1998年でした。

インターネットを利用するためにパソコンを導入したのです。

その15年以上前からワープロを使っていてキーボードには慣れていましたから、パソコンにもすぐに対応できました。

ワープロの場合は書き上げた原稿をプリントアウト(紙に印字)して、それをファクスしていましたが、インターネットを利用することで紙が不要になりました。

 

そのころ、パソコンで原稿を書いていた作家はごく少数でした。

インターネットをいち早く取り入れたのは、やはりSF作家でした。

そして、SF専門誌を発行していた早川書房だけが、インターネットで原稿のやりとりをしていました。

ほかの出版社では個人でパソコンを使っている編集者はいましたが、会社で導入していたところはなく、私の記憶では講談社が1999年にパソコンを導入し、他社もそれに続きました。

 

当時はインターネットの使用料が高く(電話回線と同じで3分間10円)、原稿を送るときだけ接続したものです。

しかも速度がひじょうに遅かったので、写真など大きなデータを送るのはまだ現実的ではありませんでした。

やがてADSLを経て、現在の光通信へと進化しました。

 

ワープロを私が早くから導入したのは、盛岡在住の作家中津文彦さんと高橋克彦さんがやはりワープロをお使いになっていたからです。

お二人と知り合ったころ、私はまだ小説家としてデビューしていませんでしたが、ワープロを見せていただいてすぐに使いはじめました。

もう35年も前のことです。

 

それでも私は万年筆を常にそばに置いています。

高価なものではなく、一本1000円程度の安物ですが、お気に入りの品です。

一方、どんなに便利であってもパソコンに愛着を持つことはないのですから不思議です。

 

なかなか見つからなかった万年筆は、背広の内ポケットに入っていました。


2017.10.07 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.97

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


********************************************************************

石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.97」


 

前回に続いて、本の話です。

 

私が1988(昭和63)年に『テニス、そして殺人者のタンゴ』で講談社からデビューしたとき、岩手日報の学芸記者が古い新聞のコピーを持ってきくれました。

それは、かつて岩手日報が主催していた読書感想文コンクールの記事でした。

コンクールに入選した小学生による座談会が載っていて、その中に小学生6年生の私がいたのです。

それを見せられるまで、私はそのことをすっかり忘れていました。

いえ、記事を見ても自分のこととは思えませんでした。

読書家だったという記憶がないのです。

 

私の家では父も母もよく本を読んでいました。

『オール読物』などの月刊文芸誌や『暮らしの手帖』などの月刊雑誌が家にはいつもありました。

しかし、絵を描いていたことと自転車をよく乗り回していたことの記憶に比べたら、読書に関しては実に曖昧です。

学校の図書館にあったSF小説を読んでいたことは覚えていますが(それらは都筑道夫や平井和正らSF小説の巨匠が子ども向けに書いていていたものだと後になって知ることになります)、読書感想文の対象にはなりそうにありません。

 

いずれにしても、両親が本を読んでいる姿に触発されて、私も本を読むようになったのでしょう。

読書週間(月間)だからとか、読書感想文を書くためにといった強制的な読書だったら、身につかなかったと思います。

私の家では、ふだんの生活に中に読書があったのです。

そういう意味で、読書のきっかけをつくってくれた両親に感謝しています。

 

さて、話は美術館に飛びます。

 

ある調査で、美術館に来ている方のうち、ほとんどの方は子どものころに学校の行事で、あるいは両親に連れてきてもらったことがあるという結果が出ています。

子どものころに美術館を経験していると、美術館に行く習慣が身につきやすいということを示しています。

逆に、子どものころに経験していないと美術館に敷居の高さを感じてしまい、行きにくくなるようです。

 

岩手町では、町内の小中学生が1年に1度必ず石神の丘美術館を見学することになっています。

美術館は「美術の勉強をするところ」ではありません。

多様な文化に触れ、想像力を伸ばす場なのです。

もっと簡単に言うと「美術が必ずしも一様ではないのと同じように、世の中にはたくさんの文化がある」ことを知ったうえで、「多様な文化をどのように理解して接すればよいのかを考えるきっかけとなる場」です。

美術館を経験した子どもと、そうでない子どもは、社会に出てから何らかの違いが出てくると私は思っています。

 

読書の習慣のある子どもとそうでない子どもの違いは、説明する必要がないでしょう。


2017.09.10 Sunday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.96

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


********************************************************************

石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.96」


 

出版不況といわれて久しい中、書店のない市町村が香川を除く全国46都道府県で420にのぼり、全国の自治体・行政区(1896)の2割強を占めるという報道がありました。

 

全国の書店数は1万2526店で、2000年の2万1654店から4割強も減っています。

その一方で、300坪以上の大型店は868店から1166店に増加しているそうですから、書店の大型化が進み、昔から地域に根ざしてきた地元の小さな書店が大資本の大型店に駆逐されているという構図が読み取れます。

 

何年か前に「書店に入ったことのない」という人が十代を中心に増えているという報道もありました。

このとき、コンビニが書店の役割を果たしていると知り、驚いたものです。

本来、コンビニに書店の代わりはとてもつとまりません。

つまり、書店が必要とされていないという事実をこの報道は伝えていたのです。

書店に人が行かなくなれば、書店が減っていくのは当然の流れであり、仕方がありません。

 

書店が消えていく前に、映画館が全国津々浦々の市町村から消えていきました。

最後に残ったのは、大手資本が経営するシネコンです。

 

しかし、映画は娯楽(といって軽視するわけではありません)ですが、書店は娯楽だけでなく、文化・教養の場です。

そして、そこから文化・教養が拡散していきます。

したがって、書店の消滅は文化の消滅を意味すると結論づけても決して短絡的とはいえないでしょう。

 

私が暮らしている盛岡では、大手の書店チェーンが進出してくる中で地元の書店が頑張っていますし、シネコンと地元の映画館も共存しているようです。

 

書店やレコード店に入り、五感を澄ませると、本やレコード(CD)が私を呼ぶ声が聞こえてきたものです。

そうして出会った小説や音楽から、どれだけ多くのものを与えてもらったことか計り知れません。

 

もっとも、ひところに比べると私の書店通いとレコード(CD)店通いもずいぶん減りました。

私でさえこうなのですから推して知るべし―かもしれません。


2017.08.02 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.95

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


********************************************************************

石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.95」


 

二ヶ月に一度くらいのペースで東京に行きます。

東京では限られた時間の中で美術館をハシゴします。

今回は東京都美術館でブリューゲルを、国立西洋美術館でアルチンボルドを見てきました。

 

前者の目玉は「バベルの塔」です。

さすがに人気が高く、これを見るには長蛇の列に並ばなければなりません。

そして、係員が「立ち止まらないでください」と厳しく指示しています。

つまり、絵の前を通りすぎる数秒間だけで「見ろ」というのです。

私はずっと前の上野動物園のパンダ園を思いだしました。

あのときの行列も立ち止まってはいけなかったのです。

ちなみに、東京都美術館は上野動物園のお隣りにあります。

 

後者にもたくさんの人が訪れていたものの、じっくりと鑑賞することができました。

 

離れたところからは人物の顔(肖像画)に見えるのに、近づいてよく見るとたくさんの花が描かれているという不思議な作風で知られるアルチンボルドは、まさに奇想の画家です。

この展覧会ではアルチンボルドの真似をした画家の作品も展示されていました。

それらと比べると、アルチンボルドがいかに秀でていたかよくわかります。

単に「発想の妙」だけで名を成したのではなく、確かな描写力の持ち主であり、それを支える観察眼と洞察力を備えていた大画家だったのです。

 

岩手出身の吉田清志(19282010)の山の絵も不思議な作品です。

離れたところからは雄大な山を細密に描写した絵に見えるのですが、近づいて見ると奇妙な形のパーツの組み合わせによって山容になっているのです。

吉田清志の絵は、具象画と抽象画について改めて考えさせます。

 

このように絵は近づいたり離れたりしてみるといろいろと発見があるものです。

918日まで開催中の『神尾 〜師・吉田清志の作品と共に〜』でも、ぜひ絵に近づいたり離れたりしてご覧ください。


7LASTPAGES

カレンダー

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< May 2018 >>

新着ブログ

カテゴリー

過去の記事

携帯サイトmobile

qrcode

ブログ内検索

その他