最新情報・ブログ
2019.11.08 Friday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.122

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.122」


 

岩手町が「ホッケーの町」として全国的に有名なように、アイルランドもホッケーが盛んな国だと知人から聞きました。

アイルランドといえばラグビーが強くて、ワールドカップ・ジャパンでもベスト8という成績でした。

アイルランドにはホッケーとよく似たハーリングという伝統競技がありますから、それでホッケーも盛んなのかもしれません。

 

私は若いころからアイルランドに興味を持ってきました。

というのも、アイルランドは岩手とよく似ているからです。

 

まず、アイルランドは文学の国です。

オスカー・ワイルド(「幸福の王子」をぜひお読みください)、イェイツ(イェイツ編『ケルト妖精物語』は日本のいわば『遠野物語』です)、スウィフト(『ガリバー旅行記』の作者ですね)、ジョージ・オーウェル、バーナード・ショーなどたくさんの文学者を輩出しています。

イギリス出身と私が思っていた作家のほとんどが実はアイルランド人なのです。

岩手は作家が多いことで有名です。

石川啄木、宮澤賢治、金田一京助、野村胡堂、鈴木彦次郎、森荘已池、常盤新平、三好京三、中津文彦、高橋克彦、久美沙織、大村友貴美…とキリがありません。

 

ジョン・F・ケネディもアイルランド系でした。

20世紀半ばのアメリカ社会で、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)以外のものが大統領になるということは天地がひっくり返るような衝撃だったようです(ケネディはカトリック)。

そんなケネディに私は「平民宰相」と呼ばれた原敬を重ねてしまいます。

 

アイルランドは伝説と現実が入り交じっているところなので、今も妖精がそこらをウロついているといいます。

これは『遠野物語』に重なります。

また、アイルランドには古代ヨーロッパの幻の民ケルト人の文化が残っています。

これも蝦夷(さらには縄文)の息吹が濃密な岩手と重なるような気がします。

 

ちょっと脱線すると、アイルランド出身のミュージシャンというとエンヤやチーフタンズ、U2がすぐに思い浮かびます。

ビートルズ・ファンはポール・マッカートニー、ジョン・レノン、リンゴ・スターがアイルランド系であることをご存じでしょう。

ブルースギターが好きな私にとってはロリー・ギャラガーとゲイリー・ムーアが生まれた国として記憶しています。

 

映画ファンならまっさきに名匠ジョン・フォード監督の名を挙げるでしょう。

『スターウォーズ』のリーアム・リーソンも『ジュラシックパーク』のサム・ニールもアイルランド出身です。

 

というわけで、アイルランドはホッケーが盛んだという話題から、連想と空想の羽を広げてみました。


2019.10.11 Friday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.121

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.121」


 

20世紀が「石油の時代」だったのに対して、21世紀は「水の時代」といわれています。

確かに20世紀は石油を巡る紛争が繰り返されました。

21世紀はさらに水を巡る紛争が起こると、多くの学者らが予想したのです。

 

日本で暮らしている私たちは水に恵まれているためピンときませんが、地球規模で見ると、水不足に苦しんでいる人が全人口の半分を占めています。

 

また、自然界の水環境にも大きな変化が起きています。

地球温暖化が「水の循環」に異常をもたらしているのです。

その影響で、日本でも年々、台風や集中豪雨の被害が増えています。

 

先ごろ、国連で気候行動サミットが開かれました。

トランプ米大統領に代表されるように、「地球温暖化」に懐疑的な人も少なくありませんが、世界規模の異常な気候変動は疑いようのない事実です。

その気候変動の原因が地球温暖化なのです。

そして、地球温暖化を招いているのは、ほかならぬ私たちの生活です。

これは実に「不都合な真実」なのですが、もうそこから目を背けるわけにはいきません。

 

国連では、私たち大人が「目を背けている」現実に対してスウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさん(16歳)が堂々と批判する演説をし、世界の注目を集めました。

 

そのようすをテレビのニュースで見ながら、1992年にリオ・デ・ジャネイロで開かれた環境サミットで演説したセヴァン・カリス=スズキ(当時12歳)のことを私は思いだしていました。

彼女の「大変なことが、ものすごい勢いで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなノンキな顔をしています。(中略)どうやって直すのかわからないものを、つづけるのはもうやめてください」という訴えは、悲しいことに(そして、情けないことに)27年後の今もまだ充分に通用します。

 

石神の丘美術館で開催中の『宇田義久展 Aqua』のAquaはラテン語で水のことです。

宇田さんは「振り返ってみると、徐々に川の流れや水の循環に惹かれている自分に気づく」と語っています。

この言葉から私は「炭坑のカナリア」を連想します。

 

昔、炭坑では坑道にカナリアを連れて入っていったそうです。

有毒ガスがあるとカナリアは人間より先に気絶し、危険を知らせてくれます。

それで危機をより早く察知する人を「炭坑のカナリア」というようになりました。

 

思えば、環境活動に長く携わってきた西和賀の瀬川強さんも、世界中を旅して水環境の違いを熟知しているオートバイ紀行作家の藤原かんいちさんも、まるで示し合わせたかのように、水の反映を作品にしています。

彼らも間違いなく「炭坑のカナリア」でしょう。


2019.09.11 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.120

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.120」


 

現在、岩手町立石神の丘美術館で開催中の『大宮政郎展』は、LAST DRAWINGSと銘打っていますが、しばしば「ドローイングって何ですか?」と聞かれます。

 

確かにドローイングは聞き慣れない言葉かもしれません。

けれども、「デッサンのことです」と私が答えると、たいていの方が「なぁんだ」という顔をします。

ドローイングは英語なのです。

フランス語ではデッサンといいます。

 

日本人は漢字、平仮名、片仮名を使い分け、さらに外来語もたくさん使い分けています。

ドローイングとデッサンも外来語の多様な使用例のひとつといえるでしょう。

 

ただ、デッサンは下書きや習作というニュアンスで使われ、ドローイングはそれじたいで完結している作品という捉え方がされているようです(厳密にそういう使い分けのルールがあるわけではありません)。

 

では、私たちが日常的に使っているさまざまな外来語について、思いつくままに挙げてみましょう。

 

お酒のラベルと宛て名ラベルは、レコード(CD)のレーベルと同じLabelです。

ローマ字のヘボン式のスペルはHepburnで、名女優オードリー・ヘップバーンと同じです。

スペルが同じなのに読み方が異なる例はほかにもあります。

モールス信号を発明したモールスと、明治時代に貝塚を発見して日本の考古学の扉を開いたエドワード・モースは同じです。

ついでに記しておくと、モールス信号のモールスは19世紀アメリカ絵画の巨匠モールスと同一人物です。

 

音楽の世界ではもっと大変なことになっています。

 

一般的に使われている「ド・レ・ミ」はイタリア語。強弱を表す「ピアニッシモ」や「フォルテ」などもイタリア語です。

みなさんがコンサートのときに使う「アンコール」もイタリア語です。

 

調性を表す「ハ長調」や「変ホ短調」などは日本語。

これをクラシック音楽の世界ではドイツ語を用いて「ツェー」や「エスモール」といいます。

ギターやピアノのコード(和音)に使われる「C」や「E♭m」は英語です。

 

ちなみに、ドレミファソラシドを日本語ではハニホヘトイロハといいます。

上の例のように、調性を記す際に今も使われています。

こんなに複雑な使い方をしているのは日本だけでしょう。

 

ともあれ、ラスト・ドローイングと銘打った『大宮政郎展』ですが、視力がほとんど失われた今も旺盛な制作活動が続けられていますから、「再びラスト・ドローイング」と銘打った展覧会が開かれるのも遠くなさそうです。

大宮さんはあと10年で100歳になります。

私は密かに『ワンハンドレッド大宮政郎展』を企画しています。


2019.08.08 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.119

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.119」


 

私がジャズを聴き始めたのは高校生のときでした。

高校時代から岩手放送でアルバイトをしていた私は、番組でかけるLPのチェック(演奏時間をストップウォッチで計測しながら、レコードに傷が付いていないか調べるのです)などの作業を通して、ポップスやロックばかりでなく、ジャズにも触れていました。

 

私が高校生だったころは、盛岡市内にジャズ喫茶が4、5軒はありました。

それぞれがマスターの個性を反映して特徴があり、客層も異なりました。

その中で私が通ったのは、八幡町(住所は中の橋通)にあった伴天連茶屋でした。

土蔵を改装したお店でしたので防音効果が高く、音量の大きいジャズ喫茶には最適な環境でした。

 

校則では禁止されていましたが、私は学校帰りに友人たちとよく伴天連茶屋に寄りました。

学生服姿の高校生など迷惑だったでしょうけれど、マスターは決して私たちを追い出したりはしませんでした。

ちょうどそのころ、文藝春秋社から五木寛之全集(全24巻)の刊行が始まりました。

私がのめりこんだ五木寛之の小説世界と伴天連茶屋のジャズはみごとにマッチしていました。

また、伴天連茶屋にはアンノン族と呼ばれていた流行の最先端をゆく若者たちが県内外から集ってきました。

私にとって彼らは「大人の世界」でした。

彼らの世界を垣間見たことが後の私の「糧」になります。

 

大学に入ってからも、夏休みや冬休みのたびに私は岩手放送でアルバイトをしていたので、やはり伴天連茶屋に通いました。

そして、お酒を飲める年齢になると、伴天連茶屋はますます身近な場所になっていきます。

伴天連茶屋は岩手放送にも近かったので、番組に出たミュージシャンの接待をするのにもよく使われていました。

下田逸郎、りりぃ、吉田拓郎、そしてあんべ光俊さんと酒を酌み交わした思い出は私の宝です。

 

もとより、ジャズ喫茶は時空を超越した空間です。

ジャズ喫茶は盛岡にいながらにして東京やニューヨークやロサンゼルスを、ジャズという音楽を通して味わえる場所です。

そういう意味でも、私にとって伴天連茶屋はもうひとつの別の学校でした。

 

私がエフエム岩手東京支社に勤務していた1989年の春に、伴天連茶屋のマスターから「店を閉めることにした。

記念に文集を出すので、何か書いてほしい」と連絡があったときは愕然としました。

その後、たまに旧伴天連茶屋でライヴが開かれたりすると懐かしく訪れたものです。

 

7月14日早朝、漏電による出火によって旧伴天連茶屋は焼失しました。

怪我人がいないのは不幸中の幸いでしたが、私の青春の記憶をとどめている場所がこの世からなくなってしまいました。


2019.07.11 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.118

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.118」


 

岩手町立石神の丘美術館では盛岡市生まれの紀行作家・斎藤潤さんの『斎藤 潤の離島・孤島・絶島・列島巡り紀行』展を開催中です。

島国日本の東西南北に散らばる数多くの島々を巡り歩いている斎藤潤さんならではの世界を(ほんのごく一部ですが)お楽しみください。

また、潤さんが岩手町に滞在して書き下ろした岩手町紀行にもご注目ください。

なお、ロビー(無料)では『斎藤純の北上川サイクリング紀行』を同時開催中です。

北上川源泉の「ゆはずの泉」から河口の石巻まで辿った紀行文とスマホで撮った写真、それにこの旅に使ったロードバイク(自転車)を展示しています。

ちなみに、キャプションは手書きです(悪筆をご笑覧ください)。

 

斎藤潤さんは旅のエキスパートです。

私も旅好きですが、潤さんの経験と見識の前ではその足元にも及びません。

潤さんを始め、私のまわりにはオートバイや自転車で旅をする友人がたくさんいます。

彼らのほとんどは10代のころから旅をしている大ベテランです。

その点、私はみんなよりだいぶ出発が遅れました。

本格的に旅に出るようになったのはオートバイの免許を取った31歳からです(クルマの免許は18歳で取っていますが、クルマは好きだったものの旅に興味はありませんでした)。

もうひとつ付け加えると、初めて自転車で長い旅をしたのは40歳のときでした。

旅人なら20歳になる前に経験しておくべきことを、歳をとってから慌てて追いかけだしたわけです。

 

20代のころまで私は本とレコード(CD)、そして画集と美術館にばかり目が向いていました。

ある先輩作家から「それは、心の旅をしていたということだよ」と半ば冷やかすように言われたことがあります。

ま、当たらずとも遠からずといったところでしょう。

 

それはともかく、私の愛車は当館ロビーに展示中のため、7月末まではサイクリングができません。

もっとも、スケジュールを見るとぎっしり埋まっていて、とうぶん旅には出られそうにありませんから、諦めもつきます(苦笑)。

 

何が忙しいのかというと、今月は私がバンマス(リーダー)をつとめているザ・ジャドウズの本番をひかえているのです。

ザ・ジャドウズはベンチャーズなどのエレキインストとタイガースなどのGS(グループサウンズ)、そしてそれらを合体させたリズム歌謡など昭和40年代の懐かしいサウンドを追及しているバンドです。

今回は「仙台のジュリー」と呼ばれている沢田研史さんをお迎えして、往年のジュリーの名曲・ヒット曲の数々をお届けします。

 

『ザ・ジャドウズmeets沢田研史』は盛岡劇場地下タウンホールにて717日(水)午後7時から。

前売り券(1,000円)は予約可能ですので、盛岡劇場(0196222258)にお問い合わせください。


2019.06.09 Sunday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.117

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.117」


 

毛越寺に招かれ、526日に浄土庭園で開催された「曲水(ごくすい)の宴」に参宴してきました。

 

「曲水の宴」は遣水(やりみず)を浮かべ、流れに合わせて和歌を詠む、平安時代の遊びを再現したもので、毛越寺では古文書に則って「ごくすいのえん」と呼んでいます。

 

参宴者は平安時代の貴族の衣装を身に着けますので、盛岡文士劇の延長みたいなものだろうという気持ちで引き受けたものの、時間が経つにつれて「大変なものを引き受けてしまった」と、つくづく後悔しました。

なにしろ、私は和歌の素養がほとんどありません。

付け焼き刃ながら枕詞を勉強しないといけないと調べはじめると、現在の短歌では枕詞を使わないのだそうです。

言葉遣いについても毛越寺に問い合わせると、万葉風の古語である必要はなく、現代語でいいと言われて、だんだん気持ちが軽くなっていきました。

 

といっても、詠んだこともない和歌を(全国にお披露目されても恥ずかしくないレベルのものを)作らなければならないのですから、荷が軽くなったわけではありません。

しかも、本番では短冊に毛筆で自作を認めるという難関も待ち受けています。

さらに、後になって私は「主客歌人」であると知り、愕然としました。

「そんな話は聞いていない」と怖じ気づいたところで後の祭りです。

 

まず、和歌をいくつか作り、これを岩手県歌人クラブのY先生に送り、選んでもらいました。

「曲水の宴」は毎年、歌題が定められます。

令和最初の「曲水の宴」の歌題は「晴れ」でした。

 

これがいいでしょう、とY先生が選んでくださったのが下記の歌です。

私は添削をしてもらうつもりでいたのですが、字句の訂正などはありませんでした。

 

 新しき 令和寿ぐ 詠み人の

 笑み晴れやかに 曲水の宴

 

この歌を作る上で留意したのは、当日の天候が晴れるとは限らないという点です。

また、「曲水の宴」は、講師(こうじ)が披講(ひこう)といって歌を読みあげるのも大きな特徴です。

ですから、耳で聴いて理解できる歌を心がけました(この点は参宴された岩手県歌人クラブの面々も苦労なさったそうです)。

ちなみに、講師は宮中歌会始でも披講をつとめていらっしゃる久邇朝俊(旧皇族久邇宮家)さんと近衛忠大(旧華族近衛家)さんです。

 

当日はお天気にも恵まれ(暑いくらいでした)、県外はもちろん海外からの観光客もたくさんいらして、盛会のうちに終えることができました。

私もなんとか主客歌人の大役を果たすことができ、安堵のあまり、フワフワと舞う蜉蝣のような態で日々を過ごしています。


2019.05.16 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.116

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.116」


 

平成31年度の最初の企画展『松本伸写真展 distance〜岩手の人1,000人のポートレート〜』が開幕しました。

 

30年のキャリアを持つ松本伸さんは広告写真を撮りながら、ライフワークとして「distance(ディスタンス)」シリーズを撮りつづけてきました。

本展ではその作品群を中心に、岩手県政広報誌「いわてグラフ」の連載時に撮影した作品や「おさんぽ」シリーズと題した作品をご覧いただけます。

また、松本さんは盛岡の冬の風物詩である盛岡文士劇の常連出演者でもあります。

舞台出演のかたわら、稽古風景や楽屋などで撮った写真は貴重な記録資料となっています。

 

日本ではこれまでに何度か写真ブームがありました。

写真ブームはカメラブームでもありました。

昭和の終わりごろから平成の初めにかけてのレンズ付きフィルムカメラ「写ルンです」ブームは社会現象にもなり、その後のデジタルカメラの普及はカメラからフィルムを駆逐しました。

そして、携帯電話やスマートフォンに内蔵されたカメラによって誰もが気軽にシャッターを押す時代になり、写真はこれまでになく身近な存在となっています。

 

このような時代にあって、撮影前に深い思考を経る松本伸さんの姿勢は、プロカメラマンではない私たちも学ぶべきことが多いように思います。

それは、撮影対象との接し方や距離感(これがdistanceの由来となっています)など、実は写真以外のこと、つまり私たちの「生き方」に応用ができそうなことばかりです。

 

松本さんの作品は観るものの気持ちを穏やかにさせます。

展覧会場から出てくるみなさんの表情にそれが如実にあらわれています。

日本ではとかく「芸術とは人間の闇の部分を描く」ものと思われがちですが、松本伸さんの作品はその対極に位置していると言っていいかもしれません。

それでいて、決して軽くはありません。

松本伸さんの写真に対する姿勢が反映されているからでしょう。

 

会期中に元号は令和になりますので、本展は石神の丘美術館にとって平成最後の展覧会となります。

令和には「明日への希望と共に、日本人1人ひとりが大きな花を咲かせる」という意味が込められているそうです。

松本伸さんの作品の世界そのものであり、本展はまさに令和の初めに相応しい展覧会といえます。


2019.04.18 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.115

美術館で毎月発行している小さな情報誌
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芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.115」


 

毎年、この時期に書いていることですが、日本では新年と新年度という二度の「切り替え」の機会があります。

もっとも、新年はカレンダー上のものですから、実際には4月が本当の切り替えの時期です。

人事異動、新入学、転職、退職など慌ただしくも何かわくわくする季節でもあります。

 

私はそのいずれとも縁がありませんが、3月が猛烈に忙しかったので、ようやく落ち着きを取り戻したところです。

 

年度末の3月には役所関係のさまざまな審議会や委員会が集中します。

それらに加えて、岩手町文章講座中級編の講師、岩手日報社が主催している文芸誌『北の文学』の選考会など長時間の準備を要する役目も重なってしまい、体が(というよりも脳が)いくつあっても足りないという状態でした。

もちろん、私が編集長をつとめている月刊『街もりおか』の編集作業もありますし、石神の丘美術館の芸術監督という重責もあります。

 

そのように忙しいときでも、どうにか時間をやりくりして、コンサートや美術展に足を運びます。

 

身も心もヘトヘトになったときにコンサート会場や美術館で過ごす時間は、いつにもまして特別な至福のひとときです。

はじめのうちこそさまざまなことが脳裏を去来して気になり、音楽や絵に集中できないのですが、やがて「浮き世」のことを忘れてしまいます。

音楽や美術は「ここではない別のどこか」へ私を連れていってくれるのです。

それは1時間から2時間程度の「心の旅」です。

でも、時間は関係がありません。

その短い旅を経験した後は、ちょっと生まれ変わったような気がするのです。

そして、新鮮な気持ちで「浮き世」に戻ることができます。

それこそが音楽や美術が秘めている「大きな力」のひとつです。

登山やスポーツも同様の力を持っています。

むしろ、日本では美術や音楽よりも登山やスポーツなどでそれを経験している人が多いことと思います。

それはコンサートや美術に触れる場が少ないせいでもあり、優劣があるわけではありません。

 

岩手町立石神の丘美術館は、県北唯一の美術館としてその大切な役割を果たしてきました。

また、美術館ホールでは本格的なコンサートも開催してきました。

 

今年度、石神の丘美術館では工事のため野外展示場を閉鎖しています。

リニューアルオープン後は、間違いなく新しい「心の旅」の場となるでしょう。


2019.03.02 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.114

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.114」


 

私が岩手町立石神の丘美術館の芸術監督に就任したのは2009年4月でしたので、来月でちょうど10年を迎えます。

この機会にざっと振り返ってみたいと思います。

 

石神の丘美術館は県北地域では唯一の美術館です。

また、全国的にも珍しい町立の美術館です。

地方の美術館は「美術のことだけをやっていればいい」というわけにはいきません。

人口が減り続けていく中で交流人口の創出、ひいては地域活性化の拠点としての役割も担っていることを充分に認識し、重視してきました。

 

地域の活性化の基本は、まず地元をよく知ることです。

地元学とも呼ばれるそれは地元を再発見することでもあります。

博物館的な企画展に力を入れてきたのは、その反映です。

『玉菜(キャベツ)にまつわる資料展』、『岩手町大百科展』、『北緯40度展』などは本来の美術館の守備範囲から大きくはみだした内容ですが、地元学の実践と地方からの文化発信という役目の一端を果たしたと自負しています。

 

また、就任当初に表明した「自然と芸術」というコンセプトを実現したものとして、『瀬川強写真展』は自然と芸術がみごとに融合した内容でした。

 

これまで彫刻や絵画といった「美術」だけでなく、写真やポスターなどにも目を向けてきたように、今後はさらに岩手発の商業デザインや工芸品といったジャンルも扱っていきたいと考えています。

 

このような活動を通して石神の丘美術館は、「地域にとって美術館とは? 美術館が果たす役割は何か?」という問いに対する答えを示してきたともいえます。

その結果、石神の丘美術館は美術関係者ばかりではなく、「まちづくり」に取り組んでいる多くの方々からも注目され、高い評価を得ています。

この小さな美術館が岩手町の総人口1万3500人を超える2万人もの入館者にお越しいただいていることは「美術館のある町・岩手町」の大いなる誇りといっていいでしょう。

 

ともあれ、美術館の運営に関して素人だった私が今日までこうして続けてこられたのは、町民ならびに岩手町役場のみなさん、石神の丘美術館を指定管理している岩手町ふるさと振興公社のみなさん、そして石神の丘美術館ファンのみなさんのおかげです。

特に美術館のスタッフにはこの場を借りて感謝したいと思います。

 

現在、野外展示場は来年初夏のリニューアルオープンに向けて工事中です。

大好きな散策路を歩けないのは私も残念ですが、さらに充実した美術館を目指していますので、どうぞご期待ください。

 

今後ともよろしくお願いします。


2019.02.07 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.113

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.113」


 

少し時間が経ってしまいましたが、昨年末の第24回盛岡文士劇について書きましょう。

 

私が出演した時代物の演目は、戊辰戦争後に戦犯として打ち首の処分を受けた楢山佐渡(盛岡藩家老)を主人公にした『柳は萌ゆる』でした。

平谷美樹さんの原作を、いつもの道又力さんが脚色したもので、公演後のアンケートなどでも大絶賛された傑作です。

 

平谷美樹さんは今まで「金ヶ崎から通うのは遠すぎるし、心臓が悪いので」と出演を断り続けてきたのですが、原作者が出ないわけにはいかないと説得されて初出演となりました。

存在感があり、堂々たる演技でした。

私が演じた目黒隆之輔(盛岡藩家臣)は架空の人物ですが、実在した家臣たちをモデルにしています。

当初、目黒は勤皇派に与することを主張します。

それに対して楢山佐渡は武士道を重んじ、徳川方につく道を選択します。

戊辰戦争が起こり、結果はご存じの通りです。

その結果、賊軍の汚名を着せられ、明治政府によって厳しい処分が課せられることになります。

目黒は楢山佐渡に対する処分に異議を申し立てて一歩も譲らず、武士として名誉ある死を勝ち取ります(私が言うのもなんですが、この場面はこのお芝居の白眉でした)。

 

楢山佐渡役の浅見智(IBC岩手放送アナウンサー)さんは初挑戦の時代物で主役という重責でしたが、誰よりも早く台詞を覚え、集中力の高い演技で出演者を牽引し、公演を成功に導きました。

楢山佐渡が報恩寺で切腹したとき、まだ幼かった原敬が別れを惜しんで泣き崩れたそうです。

原家も南部家の家臣でした。

そして、原敬にとって楢山佐渡は「人生の師」だったのです。

その史実をもとに、このお芝居でも原敬は重要な役割を果たしています。

原敬は、定評ある演技力の米澤かおり(岩手めんこいテレビアナウンサー)さんが幼年時代を、内館牧子さん原作の映画『終わった人』にも出演している菅原和彦(岩手日報)さんが壮年時代を演じました。

 

さらに、『おらおらでいぐも』で芥川賞を受賞した若竹千佐子さんも初出演し、話題になりました。

「来年も出たい」と文士劇熱に取りつかれたようです。

残念だったのは、本番一週間前に内館牧子さんが入院されて降板したことです(もう退院されて、お元気に活躍しています)。

 

私はだいたい三枚目の役が多いのですが、今回は違いました。

セリフの量もこれまでで一番多く、とても難しい役でした。

実は過去に私は2回だけ出演していません。

そのときの演目である『常磐津林中』と『世話情晦日改心(原案クリスマス・キャロル)』は文士劇史上の名作と誉れ高く、巷間「斎藤純が出ていないと名作になる」と言われています。

その評判を払拭するべく頑張りましたが・・・。


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