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2017.10.07 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.97

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.97」


 

前回に続いて、本の話です。

 

私が1988(昭和63)年に『テニス、そして殺人者のタンゴ』で講談社からデビューしたとき、岩手日報の学芸記者が古い新聞のコピーを持ってきくれました。

それは、かつて岩手日報が主催していた読書感想文コンクールの記事でした。

コンクールに入選した小学生による座談会が載っていて、その中に小学生6年生の私がいたのです。

それを見せられるまで、私はそのことをすっかり忘れていました。

いえ、記事を見ても自分のこととは思えませんでした。

読書家だったという記憶がないのです。

 

私の家では父も母もよく本を読んでいました。

『オール読物』などの月刊文芸誌や『暮らしの手帖』などの月刊雑誌が家にはいつもありました。

しかし、絵を描いていたことと自転車をよく乗り回していたことの記憶に比べたら、読書に関しては実に曖昧です。

学校の図書館にあったSF小説を読んでいたことは覚えていますが(それらは都筑道夫や平井和正らSF小説の巨匠が子ども向けに書いていていたものだと後になって知ることになります)、読書感想文の対象にはなりそうにありません。

 

いずれにしても、両親が本を読んでいる姿に触発されて、私も本を読むようになったのでしょう。

読書週間(月間)だからとか、読書感想文を書くためにといった強制的な読書だったら、身につかなかったと思います。

私の家では、ふだんの生活に中に読書があったのです。

そういう意味で、読書のきっかけをつくってくれた両親に感謝しています。

 

さて、話は美術館に飛びます。

 

ある調査で、美術館に来ている方のうち、ほとんどの方は子どものころに学校の行事で、あるいは両親に連れてきてもらったことがあるという結果が出ています。

子どものころに美術館を経験していると、美術館に行く習慣が身につきやすいということを示しています。

逆に、子どものころに経験していないと美術館に敷居の高さを感じてしまい、行きにくくなるようです。

 

岩手町では、町内の小中学生が1年に1度必ず石神の丘美術館を見学することになっています。

美術館は「美術の勉強をするところ」ではありません。

多様な文化に触れ、想像力を伸ばす場なのです。

もっと簡単に言うと「美術が必ずしも一様ではないのと同じように、世の中にはたくさんの文化がある」ことを知ったうえで、「多様な文化をどのように理解して接すればよいのかを考えるきっかけとなる場」です。

美術館を経験した子どもと、そうでない子どもは、社会に出てから何らかの違いが出てくると私は思っています。

 

読書の習慣のある子どもとそうでない子どもの違いは、説明する必要がないでしょう。


2017.09.10 Sunday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.96

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.96」


 

出版不況といわれて久しい中、書店のない市町村が香川を除く全国46都道府県で420にのぼり、全国の自治体・行政区(1896)の2割強を占めるという報道がありました。

 

全国の書店数は1万2526店で、2000年の2万1654店から4割強も減っています。

その一方で、300坪以上の大型店は868店から1166店に増加しているそうですから、書店の大型化が進み、昔から地域に根ざしてきた地元の小さな書店が大資本の大型店に駆逐されているという構図が読み取れます。

 

何年か前に「書店に入ったことのない」という人が十代を中心に増えているという報道もありました。

このとき、コンビニが書店の役割を果たしていると知り、驚いたものです。

本来、コンビニに書店の代わりはとてもつとまりません。

つまり、書店が必要とされていないという事実をこの報道は伝えていたのです。

書店に人が行かなくなれば、書店が減っていくのは当然の流れであり、仕方がありません。

 

書店が消えていく前に、映画館が全国津々浦々の市町村から消えていきました。

最後に残ったのは、大手資本が経営するシネコンです。

 

しかし、映画は娯楽(といって軽視するわけではありません)ですが、書店は娯楽だけでなく、文化・教養の場です。

そして、そこから文化・教養が拡散していきます。

したがって、書店の消滅は文化の消滅を意味すると結論づけても決して短絡的とはいえないでしょう。

 

私が暮らしている盛岡では、大手の書店チェーンが進出してくる中で地元の書店が頑張っていますし、シネコンと地元の映画館も共存しているようです。

 

書店やレコード店に入り、五感を澄ませると、本やレコード(CD)が私を呼ぶ声が聞こえてきたものです。

そうして出会った小説や音楽から、どれだけ多くのものを与えてもらったことか計り知れません。

 

もっとも、ひところに比べると私の書店通いとレコード(CD)店通いもずいぶん減りました。

私でさえこうなのですから推して知るべし―かもしれません。


2017.08.02 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.95

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.95」


 

二ヶ月に一度くらいのペースで東京に行きます。

東京では限られた時間の中で美術館をハシゴします。

今回は東京都美術館でブリューゲルを、国立西洋美術館でアルチンボルドを見てきました。

 

前者の目玉は「バベルの塔」です。

さすがに人気が高く、これを見るには長蛇の列に並ばなければなりません。

そして、係員が「立ち止まらないでください」と厳しく指示しています。

つまり、絵の前を通りすぎる数秒間だけで「見ろ」というのです。

私はずっと前の上野動物園のパンダ園を思いだしました。

あのときの行列も立ち止まってはいけなかったのです。

ちなみに、東京都美術館は上野動物園のお隣りにあります。

 

後者にもたくさんの人が訪れていたものの、じっくりと鑑賞することができました。

 

離れたところからは人物の顔(肖像画)に見えるのに、近づいてよく見るとたくさんの花が描かれているという不思議な作風で知られるアルチンボルドは、まさに奇想の画家です。

この展覧会ではアルチンボルドの真似をした画家の作品も展示されていました。

それらと比べると、アルチンボルドがいかに秀でていたかよくわかります。

単に「発想の妙」だけで名を成したのではなく、確かな描写力の持ち主であり、それを支える観察眼と洞察力を備えていた大画家だったのです。

 

岩手出身の吉田清志(19282010)の山の絵も不思議な作品です。

離れたところからは雄大な山を細密に描写した絵に見えるのですが、近づいて見ると奇妙な形のパーツの組み合わせによって山容になっているのです。

吉田清志の絵は、具象画と抽象画について改めて考えさせます。

 

このように絵は近づいたり離れたりしてみるといろいろと発見があるものです。

918日まで開催中の『神尾 〜師・吉田清志の作品と共に〜』でも、ぜひ絵に近づいたり離れたりしてご覧ください。


2017.07.06 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.94

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.94」


 

オートバイで山奥の道を走っていると美しい樹肌を持った、立派な木に出会います。

ブナです。

 

今では山奥に行かないと見られませんが、太古、東日本はブナの木に覆われていたそうです。

ブナ林はキノコなど今で言う林業特産品の宝庫です。

ブナ林は昆虫、鳥、ツキノワグマなどの動物たちが豊かに暮らせる場所でもありました。

また、ブナ林の山から川が流れる湾は、貝類、海草類やサケ・マスなどの海産物が豊富です。

川の水に養分がたっぷり含まれているからです。

それらを背景に東北を中心に発展したのが縄文文化です。

 

縄文は我々東北人のルーツです。

そういう意味では、ブナも我々東北人にとっては先祖代々のかけがえのない財産と言っていいでしょう。

 

ブナは山毛欅と書きますが、木偏に無とも書きます。

木材として役に立たなかったことから「木で無い」というわけです。

やがて建材として、またパルプの原料として使われるようになりますが、ブナにとって最大の受難は戦後の拡大造林政策でした。

スギなどの針葉樹を植林するため、ブナ林は皆伐されることになります。

これを「ブナ退治」と言い、ブナ林を根絶やしにした営林署長は出世したといいます。

拡大造林が大きな失政だったことは私などよりも岩手町のみなさんのほうがよくご存じだと思います。

荒れ放題の雑木林と、放置されて樹幹閉塞状態で成長の止まった植林地だらけになりました。

ブナ退治には東北に対する偏見と差別があったと私は見ていますが、そのことは別の機会に改めましょう。

 

このように蔑ろにされてきたブナですが、今や白神山地のブナ林は世界自然遺産です。

 

役に立たないと蔑まされ、軽んじられてきたブナに私は何となく親近感を覚えます。

すっくと立つブナの木のノーブルな美しさにも惹かれます。

ブナ林の外側にはよくシラカバが生えています。

戦前に「白樺派」という文学団体がありました。

シラカバのどこか異国風のモダンな容姿がその名の由来だそうです。

私はそれに対抗して(笑)、「ブナ派」を名乗ることにしました。

役に立たないと蔑まされてきたブナの味方だという表明です。

 

岩手町立石神の丘美術館では『瀬川強 イーハトーヴ西和賀 写真展』を開催中です。

瀬川さんは「カタクリの会」代表、日本自然保護協会自然観察指導員として西和賀のブナ林の魅力を日本全国に広めています。

写真家であり、詩人でもあります。

そんな瀬川さんのことを私は最大の尊敬の念を込めて「ブナ林の番人」と表しています。

当館で瀬川ワールドをたっぷり味わっていただきたいと思っています。


2017.06.08 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.93

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.93」


 

新年度に入って2カ月が過ぎました。

私の同級生の多くは定年退職後も新たな職場で仕事を続けていますが、「のびのび暮らしたい」と、きっぱりと引退した人もいます。

 

先日、そんな一人が石神の丘美術館に来てくれました。

 

「毎日が日曜日という生活は二週間で飽きてしまった。やりたいこと、やろうと思っていたことが山ほどあると思っていたのに…」

 

山登りや福祉関係のNPO活動などに熱心な彼のこと、毎日忙しくしていると思っていたので、これは意外でした。

現役時代、忙しい合間を縫っての活動だったからこそ充実していたのかもしれません。

 

別れ際の次の言葉も印象的でした。

 

「仕事をしていたころは美術館へ行くことなんて優先順位がずっと下のほうだったが、こんなにいい気持ちになれるのなら、優先順位をもっと上にしておくべきだった。いや、美術館の心地よさがわかる年齢になったということにしておこうかな」

 

彼の言葉から私は何かヒントをもらったように思いました。

 

定年退職をきっかけに断捨離を決行した(あるいは、決行中)という方も少なくないようです。

仕事を持っていると、「また何かのときに必要になるかもしれない」と本や資料などをなかなか手放すことができませんから、タイミングとしては相応しいのですが、いや、これもなかなか思ったようにはいかないようです。

 

「未練だとわかっているんだけど」

 

と、断捨離を決行できずにいる知人がボヤいてました。

 

人生も同じだと思います。

本来、年齢とともに余分なものを捨て去ってゆき、大切なもの(本質)だけが残るという生き方が理想です。

枯淡の境地というやつです。

しかし、私などは枯淡の境地にはほど遠く、年齢を重ねるとともに埃が分厚く積もり、本質どころか表面さえ覆い隠しています。

 

ふと、ピカソのエピソードを思いだしました。

「まるで子どもが描いた絵だ」という批評に対して、「80歳を過ぎて、ようやく子どものように描けるようになった」とピカソは言ったのです。

 

企画展『風を追いかけて〜重石晃子展』を開催(64日まで)した重石さんは風景画を主題となさっていますが、長く山の絵を描いてきませんでした。

山は「父親を連想させる」からだそうです。

その重石さんが山の絵を描くようになったのは、やはり年齢の積み重ねによるものでしょう。

 

ピカソにしろ重石さんにしろ、絵は私たちにさまざまなことを教えてくれます。 


2017.05.06 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.92

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.92」



私が岩手町立石神の丘美術館の芸術監督に就任した2009年の春(425日〜75日)に、その記念事業として『印象・いわて』展を開催させていただきました。

展示した石川酉三、板垣崇志、重石晃子、杉本みゆき、高橋和、長谷川誠、畠山孝一の作品は必ずしも「岩手の風景画」というわけではなく、「岩手の風土を感じさせる絵」でした。

このとき、盛岡市が所蔵している重石晃子さんの作品を展示できたのは本当に光栄なことでした。

重石さんの作品は私に「北東北のモダニズム」という問題意識を芽生えさせたきっかけになっているのです。

 

北東北(青森、秋田、岩手)は、遅れた土地というイメージで語られがちです。

確かに、実際に経済の面ではそうかもしれませんが、芸術文化に関しては明治以降、北東北出身者たちが近代化を牽引してきたのです。

今、岩手県立美術館で大規模な展覧会が開かれている萬鉄五郎はその嚆矢であり、棟方志功、松本竣介、深沢省三・紅子夫妻らがそれに続きます。

深沢さんの愛弟子で、現役の重石さんもその延長線上の画家といっていいでしょう。

 

重石さんはその作風もさることながら、佇まいというか存在そのものがモダンで美しい。

凛として颯爽、重厚にして軽やかです。

半世紀以上に渡って「北東北のモダニズム」を牽引なさってきた実績が、その美しい佇まいの底にあるのではないでしょうか。

 

岩手町立石神の丘美術館では422日から『風を追いかけて―重石晃子展』を開催中です。

『印象・いわて』展の終了後に、名残惜しい気持ちで盛岡市にお返しした作品も再び展示させていただいています。

 

いい絵を観ると、脳内でセロトニンという物質がたくさん作られるそうです。

セロトニンが不足するとイライラしたり、不眠になったり、鬱病にかかりやすくなるともいいます。

重石さんの作品はセロトニンをたくさん出してくれそうですから、この機会にぜひ足をお運びください。


2017.04.12 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.91

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.91」



15年ほど前ですが、一時期、津軽三味線に熱中したことがあります。

オートバイで津軽を旅したときに、弘前の郷土料理店で津軽三味線の生演奏を聴いたのがきっかけでした。

それまでもラジオやテレビ、CDなどで耳にしたことはありましたが、生演奏をちゃんと聴いたのはそれが初めてでした。

その迫力もさることながら、小さな音から大きな音までダイナミックレンジの広さに圧倒されました。

知人を介して日本でも屈指の津軽三味線奏者を紹介していただき、ますますハマってしまいました。

その津軽三味線奏者は何を隠そう、松田隆行さんです。

 

津軽三味線の歴史をひもとくと、生まれたのは明治初頭だそうです。

江戸時代からあると思いこんでいたので、ちょっと意外でした。

 

脱線しますが、津軽三味線の歴史は、フラメンコギターのそれとずいぶん重なります。

フラメンコギターも100数十年の歴史です。

フラメンコを始めたのは、国籍を持たないジプシーでした。

ジプシーは蔑まれ、虐げられてきた民です。

一方、津軽三味線の創始者たちもボサマと呼ばれ、虐げられた人々でした。

 

そして、津軽三味線もフラメンコギターも「歌」の伴奏でしたが、しだいに独奏楽器として発展していきます。

作りやリズムにも似たところがあるのですが、その話は別の機会にしましょう。

 

津軽三味線は、民謡の世界から歌謡界のスターになった三橋美智也によって昭和40年代に一躍脚光を浴び、高橋竹山、白川軍八郎、木田林松栄といった名人の活躍のおかげで芸術音楽として広まっていきます。

今日では吉田兄弟、木乃下真市(木下伸市)、上妻宏光といったジャンルを超えた津軽三味線奏者もよく知られています。

 

松田隆行さんは「津軽三味線は民謡の伴奏」という基本を大切にしています。

松田さん自身、民謡歌手でもあります。

歌って弾ける数少ない、本物の津軽三味線奏者と言っていいでしょう。

私に津軽三味線の真の魅力を教えてくれた松田隆行さんのライブを429日(土・祝)に石神の丘美術館ギャラリーホールで開催します。

詳しくは美術館からのお知らせ(チラシなど)をご覧ください。


2017.03.07 Tuesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.90

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.90」



ふだん、私はよくFMラジオを聴いています。

FMラジオは25年ほど前から番組の内容が激変しました。

それまでFMラジオといえば洋楽の番組が中心でしたが、邦楽(J-Pop)中心になったのです。

そして、音楽がFMラジオの「売り」だったはずなのに、トークが番組の中心になりました。

さらに、それ以前から洋楽番組の内容にも変化があらわれていました。

私が十代のころ(ということは昭和40年代)はイタリアやフランスのヒット曲もたくさん流れていたのに、アメリカのヒット曲に独占されるようになっていったのです。

この傾向はその後もどんどん進んで、今ではフランス語やイタリア語の音楽を耳にする機会がすっかりなくなってしまいました。

 

私は1年間におよそ30本の映画を観ます(これは劇場で観たものだけで、テレビ放映やDVDは数に入れていません)。

私が子どものころは、映画を30本観れば、そのうち10本くらいはフランスやイタリアの映画が入っていたものですが、今はほぼすべてがアメリカ映画です(中国資本の入ったアメリカ映画はありますが)。

フランス映画はたまに劇場にかかることがありますが、イタリア映画となるとまったくかからない年も珍しくありません。

 

出版の世界では翻訳小説がめっきり売れなくなって(ハリー・ポッター・シリーズのように突発的な大ヒットはあるのですが)、編集者が危機感を募らせています。

 

これらの状況を見ていると、グローバル化とか多様化という言葉が実に空虚なものに感じられます。

 

実はアメリカではかなり以前から、海外の小説、映画、音楽がほとんど入らないという「文化の鎖国状態」がつづいています。

それらを享受しているのはニューヨークやロサンゼルスなどごく一部の大都市の市民に限られているのです。

その結果、どのようなことが起きたか、改めていうまでもないでしょう。

 

上に例を挙げたように、日本でも「文化の鎖国状態」がじわじわと広がっているような気がしてなりません。

この先に起こり得ることを今のアメリカが暗示している―いえ、私の取り越し苦労だとよいのですが。


2017.02.07 Tuesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.89

美術館で毎月発行している小さな情報誌
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.89」



盛岡の冬の風物詩「盛岡文士劇」が、なんと東京でも開催されました。

私も出演者の一人としてこの大役を果たしてきましたので、そのご報告を。

 

今回で22回を数える「盛岡文士劇」は、毎回、チケットが発売してすぐに売り切れる人気イベントです。

これを東京でぜひやりたいという声が10数年前からありました。

たくさんの方のお力添えのおかげで、ようやく実現するに至りました。

 

当初、私は会場を聞いて驚きました。

「演劇の聖地」ともいわれる紀ノ國屋ホールなのです。

恐れ多いことだと思いました。

「盛岡文士劇」が、いくら地元に根付いている人気イベントでも、これは無謀なのではないかと思いました。

しかも、料金設定は6500円と、盛岡の倍以上もします。

いくら著名作家が出演するとはいえ、しょせんは素人芝居に6500円も出す人がいらっしゃるだろうか。

 

という具合に、いくつもの不安を抱えながら幕を開けてみれば、3公演(128日に昼夜2回、29日の昼1回の計3回)がすべて満席の賑わいでした。

お越しいただいたみなさんにこの場を借りて、厚く御礼申し上げます。

 

それだけ多くの方が文士劇を心待ちにしていたということなのでしょう。

東京では文藝春秋社主催の文士劇が1977年で終わっていますし、その後は1997年に日本推理作家協会が設立50周年の記念事業として一回実施しただけです。

盛岡では1990年に「盛岡文士劇」が復活して以降、日本で唯一、毎年開催しています。

つまり、文士劇に関しては今では盛岡が本場なのです。

 

ほかの地域でも文士劇をやろうと試みたところがあるようですが、どこも実現しませんでした(市民劇に文士が参加するスタイルをとっているところはあります)。

それだけ難しいイベントなのです。

なにしろ、お金があればできるというものではありません。

率先して劇団を率いる文士がいること、それを喜んで(毎年!)見にきてくださるファンがいること、芝居作りを支える裏方とホールに恵まれていることなどたくさんの条件が揃わないと実現できません。

したがって、盛岡文士劇は盛岡の文化の懐の深さを示す好例といっていいと思います。

 

東京公演の終演後、「こんなに楽しいものを毎年見ている岩手の人がうらやましい」とか「東京でも定期的に開催してほしい」という声をたくさんいただきました。

盛岡文士劇は盛岡で見てほしいというのが関係者一同の思いです。

そんな我々を代表して盛岡市の谷藤市長も「ぜひ盛岡にいらしてください」という舞台挨拶で締めました。

 

とかく文化というと東京から受け入れるだけになりがちですが、このように地方発の文化も充分にありえるのです。

出演者のお一人で、盛岡文士劇には二度目のご登場となったロバート・キャンベルさんは「盛岡文士劇は盛岡が中心なのだから、東京公演はドサ回り」とおっしゃっていました。同感です。

 

いずれ岩手町立石神の丘美術館からも東京へドサ回りできるような企画を実施したいと密かに計画を練っています。


2017.01.18 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.88

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.88」



明けましておめでとうございます。

 

昨年末に予告した通り、無事に還暦を迎えました。

もっとも、予告をしようがしまいが誰でも歳は取ります。

あたりまえといえばあたりまえのことです。

 

でも、果たしてあたりまえのことかと改めて問いかけてみれば、そう言い切れないような気もしてきます。

 

先輩作家の故中津文彦さんが還暦を迎えられたとき、私は恐る恐る「還暦のお祝いを…」と持ちかけました。

恐る恐るというのは、中津さんがそういう慣例(あるいは、形式めいたこと)をあまり好まない方だったからです。

ところが、意外にも「おお、いいね。やろう、やろう」と二つ返事で承諾を得たのです。

その理由は親しい作家が集まった還暦祝いの場で明らかにされました。

「祖父も父も還暦前に亡くなっている。私は一族の中で久々に還暦を迎えることができた男ということになる。これはありがたく、めでたいこと…」

 

あのときの中津さんの笑顔が今も瞼に浮かびます。

 

平均寿命が伸び、企業の定年も60歳から65歳に伸びつつありますが、だからといって私たちの身のまわりから決して死が遠くなったわけではありません。

 

新年早々、何か縁起の悪い話になってしまいましたが、別の言い方をするならば、還暦を迎えたことは(私に限らず)決してあたりまえのことではないということです。

この機会に、改めて感謝したいと思います。

 

還暦は干支が一巡して、振り出しに戻るという意味です。

還暦のときに赤いチャンチャンコを着る風習は、赤ん坊に魔除けの赤い産着を着せたことに由来しているそうです。

 

私は赤いチャンチャンコの代わりに赤いエレキギターを私自身へのお祝いとして新調しました。

そのギターを使って、先月、盛岡でライヴを行ないました。

仲間たちがたくさん集まってくれ、思い出深いものになりました。

大袈裟ではなく、「生きていてよかった」と思いました。

これは若いころにはなかった感覚です。

オートバイで旅をしているときに「生きていてよかった」と感謝の念を抱くようになったのも近年になってからのことです。

 

コンサートホールでも、あるいは美術館でも、音楽や美術の素晴らしい作品と出会えたときに私は「ああ、生きていてよかった」と心の底から喜びを覚えます。

石神の丘美術館もそういう出会いの場でありたいと思っています。

 

今年もどうぞよろしくお願いします。


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