最新情報・ブログ
2017.08.02 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.95

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.95」


 

二ヶ月に一度くらいのペースで東京に行きます。

東京では限られた時間の中で美術館をハシゴします。

今回は東京都美術館でブリューゲルを、国立西洋美術館でアルチンボルドを見てきました。

 

前者の目玉は「バベルの塔」です。

さすがに人気が高く、これを見るには長蛇の列に並ばなければなりません。

そして、係員が「立ち止まらないでください」と厳しく指示しています。

つまり、絵の前を通りすぎる数秒間だけで「見ろ」というのです。

私はずっと前の上野動物園のパンダ園を思いだしました。

あのときの行列も立ち止まってはいけなかったのです。

ちなみに、東京都美術館は上野動物園のお隣りにあります。

 

後者にもたくさんの人が訪れていたものの、じっくりと鑑賞することができました。

 

離れたところからは人物の顔(肖像画)に見えるのに、近づいてよく見るとたくさんの花が描かれているという不思議な作風で知られるアルチンボルドは、まさに奇想の画家です。

この展覧会ではアルチンボルドの真似をした画家の作品も展示されていました。

それらと比べると、アルチンボルドがいかに秀でていたかよくわかります。

単に「発想の妙」だけで名を成したのではなく、確かな描写力の持ち主であり、それを支える観察眼と洞察力を備えていた大画家だったのです。

 

岩手出身の吉田清志(19282010)の山の絵も不思議な作品です。

離れたところからは雄大な山を細密に描写した絵に見えるのですが、近づいて見ると奇妙な形のパーツの組み合わせによって山容になっているのです。

吉田清志の絵は、具象画と抽象画について改めて考えさせます。

 

このように絵は近づいたり離れたりしてみるといろいろと発見があるものです。

918日まで開催中の『神尾 〜師・吉田清志の作品と共に〜』でも、ぜひ絵に近づいたり離れたりしてご覧ください。


2017.07.06 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.94

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.94」


 

オートバイで山奥の道を走っていると美しい樹肌を持った、立派な木に出会います。

ブナです。

 

今では山奥に行かないと見られませんが、太古、東日本はブナの木に覆われていたそうです。

ブナ林はキノコなど今で言う林業特産品の宝庫です。

ブナ林は昆虫、鳥、ツキノワグマなどの動物たちが豊かに暮らせる場所でもありました。

また、ブナ林の山から川が流れる湾は、貝類、海草類やサケ・マスなどの海産物が豊富です。

川の水に養分がたっぷり含まれているからです。

それらを背景に東北を中心に発展したのが縄文文化です。

 

縄文は我々東北人のルーツです。

そういう意味では、ブナも我々東北人にとっては先祖代々のかけがえのない財産と言っていいでしょう。

 

ブナは山毛欅と書きますが、木偏に無とも書きます。

木材として役に立たなかったことから「木で無い」というわけです。

やがて建材として、またパルプの原料として使われるようになりますが、ブナにとって最大の受難は戦後の拡大造林政策でした。

スギなどの針葉樹を植林するため、ブナ林は皆伐されることになります。

これを「ブナ退治」と言い、ブナ林を根絶やしにした営林署長は出世したといいます。

拡大造林が大きな失政だったことは私などよりも岩手町のみなさんのほうがよくご存じだと思います。

荒れ放題の雑木林と、放置されて樹幹閉塞状態で成長の止まった植林地だらけになりました。

ブナ退治には東北に対する偏見と差別があったと私は見ていますが、そのことは別の機会に改めましょう。

 

このように蔑ろにされてきたブナですが、今や白神山地のブナ林は世界自然遺産です。

 

役に立たないと蔑まされ、軽んじられてきたブナに私は何となく親近感を覚えます。

すっくと立つブナの木のノーブルな美しさにも惹かれます。

ブナ林の外側にはよくシラカバが生えています。

戦前に「白樺派」という文学団体がありました。

シラカバのどこか異国風のモダンな容姿がその名の由来だそうです。

私はそれに対抗して(笑)、「ブナ派」を名乗ることにしました。

役に立たないと蔑まされてきたブナの味方だという表明です。

 

岩手町立石神の丘美術館では『瀬川強 イーハトーヴ西和賀 写真展』を開催中です。

瀬川さんは「カタクリの会」代表、日本自然保護協会自然観察指導員として西和賀のブナ林の魅力を日本全国に広めています。

写真家であり、詩人でもあります。

そんな瀬川さんのことを私は最大の尊敬の念を込めて「ブナ林の番人」と表しています。

当館で瀬川ワールドをたっぷり味わっていただきたいと思っています。


2017.06.08 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.93

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.93」


 

新年度に入って2カ月が過ぎました。

私の同級生の多くは定年退職後も新たな職場で仕事を続けていますが、「のびのび暮らしたい」と、きっぱりと引退した人もいます。

 

先日、そんな一人が石神の丘美術館に来てくれました。

 

「毎日が日曜日という生活は二週間で飽きてしまった。やりたいこと、やろうと思っていたことが山ほどあると思っていたのに…」

 

山登りや福祉関係のNPO活動などに熱心な彼のこと、毎日忙しくしていると思っていたので、これは意外でした。

現役時代、忙しい合間を縫っての活動だったからこそ充実していたのかもしれません。

 

別れ際の次の言葉も印象的でした。

 

「仕事をしていたころは美術館へ行くことなんて優先順位がずっと下のほうだったが、こんなにいい気持ちになれるのなら、優先順位をもっと上にしておくべきだった。いや、美術館の心地よさがわかる年齢になったということにしておこうかな」

 

彼の言葉から私は何かヒントをもらったように思いました。

 

定年退職をきっかけに断捨離を決行した(あるいは、決行中)という方も少なくないようです。

仕事を持っていると、「また何かのときに必要になるかもしれない」と本や資料などをなかなか手放すことができませんから、タイミングとしては相応しいのですが、いや、これもなかなか思ったようにはいかないようです。

 

「未練だとわかっているんだけど」

 

と、断捨離を決行できずにいる知人がボヤいてました。

 

人生も同じだと思います。

本来、年齢とともに余分なものを捨て去ってゆき、大切なもの(本質)だけが残るという生き方が理想です。

枯淡の境地というやつです。

しかし、私などは枯淡の境地にはほど遠く、年齢を重ねるとともに埃が分厚く積もり、本質どころか表面さえ覆い隠しています。

 

ふと、ピカソのエピソードを思いだしました。

「まるで子どもが描いた絵だ」という批評に対して、「80歳を過ぎて、ようやく子どものように描けるようになった」とピカソは言ったのです。

 

企画展『風を追いかけて〜重石晃子展』を開催(64日まで)した重石さんは風景画を主題となさっていますが、長く山の絵を描いてきませんでした。

山は「父親を連想させる」からだそうです。

その重石さんが山の絵を描くようになったのは、やはり年齢の積み重ねによるものでしょう。

 

ピカソにしろ重石さんにしろ、絵は私たちにさまざまなことを教えてくれます。 


2017.05.06 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.92

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.92」



私が岩手町立石神の丘美術館の芸術監督に就任した2009年の春(425日〜75日)に、その記念事業として『印象・いわて』展を開催させていただきました。

展示した石川酉三、板垣崇志、重石晃子、杉本みゆき、高橋和、長谷川誠、畠山孝一の作品は必ずしも「岩手の風景画」というわけではなく、「岩手の風土を感じさせる絵」でした。

このとき、盛岡市が所蔵している重石晃子さんの作品を展示できたのは本当に光栄なことでした。

重石さんの作品は私に「北東北のモダニズム」という問題意識を芽生えさせたきっかけになっているのです。

 

北東北(青森、秋田、岩手)は、遅れた土地というイメージで語られがちです。

確かに、実際に経済の面ではそうかもしれませんが、芸術文化に関しては明治以降、北東北出身者たちが近代化を牽引してきたのです。

今、岩手県立美術館で大規模な展覧会が開かれている萬鉄五郎はその嚆矢であり、棟方志功、松本竣介、深沢省三・紅子夫妻らがそれに続きます。

深沢さんの愛弟子で、現役の重石さんもその延長線上の画家といっていいでしょう。

 

重石さんはその作風もさることながら、佇まいというか存在そのものがモダンで美しい。

凛として颯爽、重厚にして軽やかです。

半世紀以上に渡って「北東北のモダニズム」を牽引なさってきた実績が、その美しい佇まいの底にあるのではないでしょうか。

 

岩手町立石神の丘美術館では422日から『風を追いかけて―重石晃子展』を開催中です。

『印象・いわて』展の終了後に、名残惜しい気持ちで盛岡市にお返しした作品も再び展示させていただいています。

 

いい絵を観ると、脳内でセロトニンという物質がたくさん作られるそうです。

セロトニンが不足するとイライラしたり、不眠になったり、鬱病にかかりやすくなるともいいます。

重石さんの作品はセロトニンをたくさん出してくれそうですから、この機会にぜひ足をお運びください。


2017.04.12 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.91

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.91」



15年ほど前ですが、一時期、津軽三味線に熱中したことがあります。

オートバイで津軽を旅したときに、弘前の郷土料理店で津軽三味線の生演奏を聴いたのがきっかけでした。

それまでもラジオやテレビ、CDなどで耳にしたことはありましたが、生演奏をちゃんと聴いたのはそれが初めてでした。

その迫力もさることながら、小さな音から大きな音までダイナミックレンジの広さに圧倒されました。

知人を介して日本でも屈指の津軽三味線奏者を紹介していただき、ますますハマってしまいました。

その津軽三味線奏者は何を隠そう、松田隆行さんです。

 

津軽三味線の歴史をひもとくと、生まれたのは明治初頭だそうです。

江戸時代からあると思いこんでいたので、ちょっと意外でした。

 

脱線しますが、津軽三味線の歴史は、フラメンコギターのそれとずいぶん重なります。

フラメンコギターも100数十年の歴史です。

フラメンコを始めたのは、国籍を持たないジプシーでした。

ジプシーは蔑まれ、虐げられてきた民です。

一方、津軽三味線の創始者たちもボサマと呼ばれ、虐げられた人々でした。

 

そして、津軽三味線もフラメンコギターも「歌」の伴奏でしたが、しだいに独奏楽器として発展していきます。

作りやリズムにも似たところがあるのですが、その話は別の機会にしましょう。

 

津軽三味線は、民謡の世界から歌謡界のスターになった三橋美智也によって昭和40年代に一躍脚光を浴び、高橋竹山、白川軍八郎、木田林松栄といった名人の活躍のおかげで芸術音楽として広まっていきます。

今日では吉田兄弟、木乃下真市(木下伸市)、上妻宏光といったジャンルを超えた津軽三味線奏者もよく知られています。

 

松田隆行さんは「津軽三味線は民謡の伴奏」という基本を大切にしています。

松田さん自身、民謡歌手でもあります。

歌って弾ける数少ない、本物の津軽三味線奏者と言っていいでしょう。

私に津軽三味線の真の魅力を教えてくれた松田隆行さんのライブを429日(土・祝)に石神の丘美術館ギャラリーホールで開催します。

詳しくは美術館からのお知らせ(チラシなど)をご覧ください。


2017.03.07 Tuesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.90

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.90」



ふだん、私はよくFMラジオを聴いています。

FMラジオは25年ほど前から番組の内容が激変しました。

それまでFMラジオといえば洋楽の番組が中心でしたが、邦楽(J-Pop)中心になったのです。

そして、音楽がFMラジオの「売り」だったはずなのに、トークが番組の中心になりました。

さらに、それ以前から洋楽番組の内容にも変化があらわれていました。

私が十代のころ(ということは昭和40年代)はイタリアやフランスのヒット曲もたくさん流れていたのに、アメリカのヒット曲に独占されるようになっていったのです。

この傾向はその後もどんどん進んで、今ではフランス語やイタリア語の音楽を耳にする機会がすっかりなくなってしまいました。

 

私は1年間におよそ30本の映画を観ます(これは劇場で観たものだけで、テレビ放映やDVDは数に入れていません)。

私が子どものころは、映画を30本観れば、そのうち10本くらいはフランスやイタリアの映画が入っていたものですが、今はほぼすべてがアメリカ映画です(中国資本の入ったアメリカ映画はありますが)。

フランス映画はたまに劇場にかかることがありますが、イタリア映画となるとまったくかからない年も珍しくありません。

 

出版の世界では翻訳小説がめっきり売れなくなって(ハリー・ポッター・シリーズのように突発的な大ヒットはあるのですが)、編集者が危機感を募らせています。

 

これらの状況を見ていると、グローバル化とか多様化という言葉が実に空虚なものに感じられます。

 

実はアメリカではかなり以前から、海外の小説、映画、音楽がほとんど入らないという「文化の鎖国状態」がつづいています。

それらを享受しているのはニューヨークやロサンゼルスなどごく一部の大都市の市民に限られているのです。

その結果、どのようなことが起きたか、改めていうまでもないでしょう。

 

上に例を挙げたように、日本でも「文化の鎖国状態」がじわじわと広がっているような気がしてなりません。

この先に起こり得ることを今のアメリカが暗示している―いえ、私の取り越し苦労だとよいのですが。


2017.02.07 Tuesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.89

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.89」



盛岡の冬の風物詩「盛岡文士劇」が、なんと東京でも開催されました。

私も出演者の一人としてこの大役を果たしてきましたので、そのご報告を。

 

今回で22回を数える「盛岡文士劇」は、毎回、チケットが発売してすぐに売り切れる人気イベントです。

これを東京でぜひやりたいという声が10数年前からありました。

たくさんの方のお力添えのおかげで、ようやく実現するに至りました。

 

当初、私は会場を聞いて驚きました。

「演劇の聖地」ともいわれる紀ノ國屋ホールなのです。

恐れ多いことだと思いました。

「盛岡文士劇」が、いくら地元に根付いている人気イベントでも、これは無謀なのではないかと思いました。

しかも、料金設定は6500円と、盛岡の倍以上もします。

いくら著名作家が出演するとはいえ、しょせんは素人芝居に6500円も出す人がいらっしゃるだろうか。

 

という具合に、いくつもの不安を抱えながら幕を開けてみれば、3公演(128日に昼夜2回、29日の昼1回の計3回)がすべて満席の賑わいでした。

お越しいただいたみなさんにこの場を借りて、厚く御礼申し上げます。

 

それだけ多くの方が文士劇を心待ちにしていたということなのでしょう。

東京では文藝春秋社主催の文士劇が1977年で終わっていますし、その後は1997年に日本推理作家協会が設立50周年の記念事業として一回実施しただけです。

盛岡では1990年に「盛岡文士劇」が復活して以降、日本で唯一、毎年開催しています。

つまり、文士劇に関しては今では盛岡が本場なのです。

 

ほかの地域でも文士劇をやろうと試みたところがあるようですが、どこも実現しませんでした(市民劇に文士が参加するスタイルをとっているところはあります)。

それだけ難しいイベントなのです。

なにしろ、お金があればできるというものではありません。

率先して劇団を率いる文士がいること、それを喜んで(毎年!)見にきてくださるファンがいること、芝居作りを支える裏方とホールに恵まれていることなどたくさんの条件が揃わないと実現できません。

したがって、盛岡文士劇は盛岡の文化の懐の深さを示す好例といっていいと思います。

 

東京公演の終演後、「こんなに楽しいものを毎年見ている岩手の人がうらやましい」とか「東京でも定期的に開催してほしい」という声をたくさんいただきました。

盛岡文士劇は盛岡で見てほしいというのが関係者一同の思いです。

そんな我々を代表して盛岡市の谷藤市長も「ぜひ盛岡にいらしてください」という舞台挨拶で締めました。

 

とかく文化というと東京から受け入れるだけになりがちですが、このように地方発の文化も充分にありえるのです。

出演者のお一人で、盛岡文士劇には二度目のご登場となったロバート・キャンベルさんは「盛岡文士劇は盛岡が中心なのだから、東京公演はドサ回り」とおっしゃっていました。同感です。

 

いずれ岩手町立石神の丘美術館からも東京へドサ回りできるような企画を実施したいと密かに計画を練っています。


2017.01.18 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.88

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.88」



明けましておめでとうございます。

 

昨年末に予告した通り、無事に還暦を迎えました。

もっとも、予告をしようがしまいが誰でも歳は取ります。

あたりまえといえばあたりまえのことです。

 

でも、果たしてあたりまえのことかと改めて問いかけてみれば、そう言い切れないような気もしてきます。

 

先輩作家の故中津文彦さんが還暦を迎えられたとき、私は恐る恐る「還暦のお祝いを…」と持ちかけました。

恐る恐るというのは、中津さんがそういう慣例(あるいは、形式めいたこと)をあまり好まない方だったからです。

ところが、意外にも「おお、いいね。やろう、やろう」と二つ返事で承諾を得たのです。

その理由は親しい作家が集まった還暦祝いの場で明らかにされました。

「祖父も父も還暦前に亡くなっている。私は一族の中で久々に還暦を迎えることができた男ということになる。これはありがたく、めでたいこと…」

 

あのときの中津さんの笑顔が今も瞼に浮かびます。

 

平均寿命が伸び、企業の定年も60歳から65歳に伸びつつありますが、だからといって私たちの身のまわりから決して死が遠くなったわけではありません。

 

新年早々、何か縁起の悪い話になってしまいましたが、別の言い方をするならば、還暦を迎えたことは(私に限らず)決してあたりまえのことではないということです。

この機会に、改めて感謝したいと思います。

 

還暦は干支が一巡して、振り出しに戻るという意味です。

還暦のときに赤いチャンチャンコを着る風習は、赤ん坊に魔除けの赤い産着を着せたことに由来しているそうです。

 

私は赤いチャンチャンコの代わりに赤いエレキギターを私自身へのお祝いとして新調しました。

そのギターを使って、先月、盛岡でライヴを行ないました。

仲間たちがたくさん集まってくれ、思い出深いものになりました。

大袈裟ではなく、「生きていてよかった」と思いました。

これは若いころにはなかった感覚です。

オートバイで旅をしているときに「生きていてよかった」と感謝の念を抱くようになったのも近年になってからのことです。

 

コンサートホールでも、あるいは美術館でも、音楽や美術の素晴らしい作品と出会えたときに私は「ああ、生きていてよかった」と心の底から喜びを覚えます。

石神の丘美術館もそういう出会いの場でありたいと思っています。

 

今年もどうぞよろしくお願いします。


2016.12.10 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.87

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.87」



いよいよ年の瀬です。

今年の年末は私にとって特別な意味があり、感慨深いものがあります。

実は年が明けると私は還暦を迎えるので、この年末は50代最後の年の瀬なのです。

 

もっとも、何か特別な変化があるわけではありません。

会社勤めならば定年退職ということになりますが、私はまだまだ働きつづけなければなりません。

もちろん、これは喜ぶべきことでもあります。

 

数年前から還暦を意識し、さまざまな役職を下りるようにしてきました。

頼まれると断れないという性格のせいで、多いときは20を超える役職を引き受けていました。

岩手県〇〇委員、盛岡市〇〇委員など立派な肩書ですが、いずれも重い責任を担うばかりで、金銭面で生活の足しになることはひとつもありませんでした。

むしろ私の場合は生活を犠牲にすることのほうが多かったといえます。

「私などでお役に立てるなら」という思いで、それらの責務を果たすように努めてきました。

 

ここだけの話、中には「箔がつく」という理由でそういった役職に名を連ねている方もいるようですが、私は「名前だけの役職」が大嫌いなので、自腹を切って勉強をし、ない知恵を絞り、尽くしてきました。

それらの委員会において私は年齢的には中堅でしたが、どんどん若い人に椅子を譲っていくべきだと思っています。

だから、市や県の担当者には「私の後任は私より若い人に」とお願いをしています。

 

それらのほとんどを下りたおかげで身軽になりました(まだ岩手県立図書館運営協議委員と盛岡中央公民館審議委員を務めていますが、今期でお役御免となる予定です)。

その分、これからはもう少し岩手町に来ることが多くなると思います。

飲み会にも大いに参加したいと思っていますので、遠慮なく声をかけてください。


2016.11.17 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.86

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.86」



日々、寒さが増していく今日このごろです。

 

私は毎年、この時期に衣類の整理をします。

夏物を仕舞い、冬物を出すのです。

整理をしていて迷うのが、春秋物です。

ふいに暖かくなることもあるので、すべて仕舞ってしまうと着るものがなくて困ることになります。

いったん仕舞ったものを出すとなると、これがまた面倒でして・・・。

 

私の衣類を整理していてまず気がつくのは、ブラックとグレーが多いことです。

ジャケットにしろパンツにしろシャツにしろ、ほとんどがその2色といっていいでしょう。

次いでワイシャツ(白)、ジーンズ(紺)、チノパンツ(黄土色)という具合です。

もともと服装については保守的で、若いころから渋好みだったこともあり、黒っぽい服装になってしまいました。

原色を使った衣類は着たことがありません。

 

ところが、今年になって私の服装に少しずつ変化が訪れています。

明るい色の衣類を着るようになってきたのです。

 

歳を取ると体から発する雰囲気が沈んだトーンになっていきます(実際に肌の色合いが若い人に比べて暗めになります)。

これを「落ち着いた大人の雰囲気」と前向きにとらえることもできるのですが、黒っぽい服装はその沈んだトーンをさらに暗く見せてしまうようです。

それが明るい色のシャツを着るだけで明るいトーンに変わるのです。

さらに、明るい色の衣類は気分も明るくしてくれることを知りました。

 

昔から「歳を取ると服装が派手になる」といわれています。

私には縁のないことだと思っていましたが、それにはこのように合理的と言ってもいいような理由があったのです。

「何か今日は今ひとつ気分がパッとしないな」というときは、思いきって明るい色の服を身につけるようになりました。

 

もっとも、真っ赤なシャツを着る勇気はないので(たぶん似合わないですし)、明るい紺色のシャツを着るという程度の違いです。

私の場合、それでも充分に効果があるようです。


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