最新情報・ブログ
2015.07.19 Sunday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.71

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。

なお、過去のエッセイをご覧になりたい場合は、
「美術館通信」コーナーよりpdf形式でご覧ください。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.71」



『岩手町町制施行60周年記念 Hokkaider 小原 信好 写真展 〜ツーリング写真家 クマさんと巡る、北海道・北東北 絶景の旅〜』が好評です。
主に北海道と北東北の風景写真からなる写真展です。
この前は古山拓さんの風景画をご覧いただきましたから、絵に続いて今度は写真による風景ということになります。


しばしば私たちは「絵になる風景」という言い方をします。
写真の場合でも「写真になる風景」があります。
おもしろいのは、「絵になる風景」と「写真になる風景」は必ずしも一致しません。
つまり、「絵画向きの風景」と「写真向きの風景」があるようなのです。
このあたりも頭の片隅に入れつつご覧いただくと、いっそう深く小原ワールドに入っていけることと思います。


小原さんの写真の大きな特徴は、旅する人の視点で撮られていることです。
ですから、特別な機材も特殊な技術も使いません。
たとえば、北海道を旅するとき、私たちも小原さんの写真と同じ風景を見ているのです。
ところが、小原さんの腕にかかると、同じ風景がまったく別の(とても素敵な)場所になってしまうのです。


もうひとつ、オートバイ乗りの視点で撮られていることも最大の特徴です。
小原さんの写真を目にしたオートバイ乗りは旅心を刺激されないではいられません。
また、小原さんの写真によって、ツーリングの思い出がよみがえることも多いです。
だから、小原さんの風景写真は日本中のオートバイ乗りに愛されているのです。


ここでお急ぎでお断りしておかなければならないことがあります。
小原さんの写真は決してオートバイ乗り向けに限定されたものではありません。


オートバイ乗りの視点で切り取られた風景写真は、風景写真の専門家が撮ったそれとは明らかに異なります。
きっと多くの方に新鮮な驚きと爽やかな印象を与えることでしょう。


話は変わりますが、岩手町の隠れた特産品にホワイトアスパラガスがあります。
とれたてのホワイトアスパラガスを一般家庭で食べている地域が果たして日本にどれくらいあるでしょうか。
ごくごくわずかだと思います。


そのホワイトアスパラガスを今年は食べずじまいでした。
というのも、そろそろ出てくるころかなと思ったときにはもう収穫時期が過ぎていたのです。
なんでも、今年は
10日以上早かったとか。

石神の丘のラベンダーも例年より10日以上早く開花しました。
また、いつもなら場所によって開花時期がずれ、その分、長く楽しめるのですが、今年はいっきに咲いてご来場者の目(と鼻)を楽しませてくれました。


ここ数年、毎年のように「今年の天気はおかしい」という声を聞きます。
野菜の収穫に大きな影響が及ばないことを祈るばかりです。

2015.06.16 Tuesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.70

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。

なお、過去のエッセイをご覧になりたい場合は、
「美術館通信」コーナーよりpdf形式でご覧ください。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.70」



前に私の映画体験について書きましたが、今回は音楽のことです。

たいていの音楽ファンは劇的な出会いというべき音楽体験を持っているものですが、私にはそういう体験がありません。
私が育った家は大きな映画館の建物の中にあったので、四六時中、音楽(サウンドトラック)が聴こえているという特殊な環境だったのです。


洋画専門の映画館(盛岡にあった国劇)でしたから、映画音楽はもちろんですが、映画で使われていたジャズやクラシックも自然と耳に入ってきました。
後年、ジャズやクラシックに敷居の高さを感じず、親しみをもって接することができたのはそういう体験のおかげだったと思います。


ビートルズも映画で知りました。
小学生だった私はビートルズをクレイジーキャッツのようなコミックバンドだと思いこんでしまい(映画がそういう内容でしたから)、「衝撃的な音楽体験」にはなりませんでした。出会いが早すぎたともいえます。


あのころは映画館がコンサートホールの代わりに使われることもしばしばありました。
ベンチャーズなどのエレキ・インスト(テケテケですね)が大流行だったころです。
そういえば、川口のいとこがエレキギターを持っていて、とても羨ましかったのをよく覚えています。


私がギターをはじめたのは中学校に入ってからです。
もうエレキ・インストブームは去っていて、フォーク(後にニューミュージックと呼ばれるようになる)が台頭してきたころです。
高校に入るころにはロックに興味が移っていました。
それにともなって、ギターもエレキギターに変わりました。


ただ、当時はエレキギターを持っているだけで不良扱いされ、コンサートに行くことも学校で禁止されていました。
自分たちが出る自主コンサートを開催することも禁止されていましたが、もちろん、そんな規則を守っていたら今の私はなかったでしょう。


大学に入って好きな音楽活動を存分にやれるようになったとき、初めて「自由」の意味が実感できました。
この続きはいずれ改めて。

2015.05.14 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.69

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.69」



開催中の『古山拓水彩画展』(531日まで)が好評です。
ことに岩手町を描いた作品(全部で
22点。内5点は絵葉書になっています)は私たちが気付いていなかった岩手町の美しさを改めて教えてくれます。

また、おもしろいことに英国の風景もどこか岩手と重なるところがあって、親しみを覚えます(逆に岩手の風景なのに英国の風景に見える作品もあります)。
私たちにとっては馴染みのある水彩絵の具による作品であることも、この展覧会の人気の要因なのかもしれません。


ところで、古山さんが用いている絵の具は、透明水彩絵の具といって、私たちが小学校で使った水彩絵の具とはちょっとちがいます。

透明水彩絵の具による水彩画の技法が日本に入ってきたのは、油絵と同じで明治時代のことです。
改めて言うまでなく、日本には南画や大和絵、肉筆浮世絵、水墨画の伝統がありました。
水と筆は共通していましたから、特殊な画材と技法を要する油絵よりも水彩画はずっと早く広まり、一大ブームとなります。
浅井忠、大下藤次郎、三宅克己ら優れた水彩画家が誕生し、若き日の萬鉄五郎(旧東和町土澤出身)もその影響を受けます。
『銭形平次』の生みの親である野村胡堂も若いころは絵描きを目指して水彩画を盛んに描きました(紫波町の野村胡堂あらえびす記念館が作品を所蔵しています)。
水彩画ブームが地方にも及んでいたことがわかります。


話を戻します。
古山さんの水彩画も、明治期に入ってきた英国流のそれです。
けれども、構図に日本の伝統や美意識が色濃く反映されているのを感じます。
それは必ずしも意図的なものだけではなく、自然に内側から滲み出てきたものだと思います。
それが私たちをいっそう強く惹きつけるのでしょう。


実は私も手すさびに水彩画を描くことがあります。
絵の具と戯れていると「ここではないどこか」へ旅に連れていってもらったような心地になります。

2015.04.11 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.68

美術館で毎月発行している小さな情報誌
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.68」



新年度を迎えました。

昨年度、石神の丘美術館は1万8000人を超える方々に来館していただきました。
さらに、ワークショップや講座に参加された方を含めると2万人を超えます。
改めてお礼を申し上げます。


私が石神の丘美術館の芸術監督に就任した2009年(平成21年)に岩手町の人口は16000人を切りました。
現在は1万
4000人くらいです。
6年間で2000人近く減っていることになります。
そういう中で入館者数が前年を上回っているのは特筆に値します。


人口減少が全国的な問題となっていて、その有効な解決策も見出せない中、交流人口を増やすことが各市町村の重要な課題となっています。
文化施設は入館数がすべてではありませんが、石神の丘美術館は岩手町の交流人口の増加に少なからず貢献しているといっていいでしょう。


入館者の傾向を見ますと、他地域からの方はもちろんですが、町内の方のリピーターも増加傾向にあります。
このことから、町民に親しまれていることが実感できます。
また、小中学校の団体鑑賞も確実に増えています。


前にも何度か書きましたが、子どものころに美術館に連れていってもらった経験のある人は、大人になっても美術館へ行くことに抵抗を感じません。
ですから、子どものころに美術館を経験させておくことは大人のつとめだといっていいでしょう。


町制施行60周年にあたる今年度も、石神の丘美術館では盛りだくさんの企画展ならびに講座、ワークショップを予定しています。

まず今年度の幕開けは、古山拓さんの水彩画展です。
古山さんは幼いころを川口で過ごしていますから、岩手町ゆかりの画家でもあります。
古山さんはこの展覧会のために岩手町を何度か訪れ、新作を描いてくださいました。
この機会にぜひご家族そろって、お越しいただきたいと思います。

2015.03.12 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.67

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.67」



岩手県民なら誰もが知っているはず……と思っていたのに意外に知られていないことがあるものです。

たとえば、紫波町出身の野村胡堂(作家。代表作に『銭形平次』シリーズがある)がいなければ、今のソニーはなかったかもしれないというお話。

敗戦後、まだ間もないころ、ソニー(当時は東京通信研究所)の創業者である井深大はトランジスタラジオやテープレコーダーの研究開発費の捻出に頭を痛めていました。
テープレコーダー自体がどういうものなのか知られていない時代です。
銀行もそんなわけのわからないもののために資金を貸せないと門前払い。
井深は意を決して、売れっ子作家の野村胡堂のもとを訪ねます。
井深の母(さわ)が野村胡堂夫人と大学時代の同窓生で、井深自身も子どものころから野村家に出入りしていたのです。


クラシックレコードの評論家の草分けでもある野村胡堂(小澤征爾氏が「若いころに野村胡堂の本で勉強したんだよ」とおっしゃっていました)は、トランジスタラジオやテープレコーダーの重要性を理解していましたから、井深に資金を提供しました。

このとき、野村は寄付をしたつもりだったようです。
ですから、急成長を遂げたソニーが「お金を返しに」来たことに驚き、「そんなものは受け取れない」と断っています。
なにしろ、寄付した額の何千倍もの額面(1億円)の株券になって返ってきたのですから。
つまり、井深は野村胡堂に寄付をもらったのではなく、ソニーの株を買ってもらっていたのです。


その1億円をもとに野村胡堂は野村学芸財団(奨学金と研究助成金の給付)を設立します。
家の経済事情のため大学に行けなかった胡堂の思いがこの事業に反映されています。


もうひとつ、今からちょうど90年前の1925年のこと。
盛岡に一人の少年がやってきました。
大人たちが直せなかった消防車をみごとに修理してみせると、来たときと帰るときの待遇がガラリと変わりました。
少年は「技術こそがすべてだ」と悟ります。


その少年こそ、後に世界的メーカーとなるホンダの創業者本田宗一郎です。
本田はこの経験を講演でしばしば披露し、自著にも書いています。

2015.02.07 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.66

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.66」



このところDVDで古い映画ばかり見ているので、少しばかり映画のお話を。

私が見るのはもっぱら洋画ですが、たまに邦画も見ます。
私のお気に入りは加山雄三の若大将シリーズです。
この映画では、昭和
30年代から40年代にかけての東京のようすや当時のファッションを知ることができます。
私が古い映画(といっても第二次大戦後の作品ですが)を見るのは、映画そのものもさることながら、こういう楽しみがあるからです。


昭和40年代の首都高速道路はまだガラガラで、隔世の感があります。
高層ビルも少なく、ヨーロッパの都市と違って東京は変化が激しいので、もはやどこで撮ったのかわからないことも珍しくありません。


変化といえば、言葉遣いも今とはずいぶん違います。
これはテレビで昔のニュースが流れるたびに感じることでもあります。
おそらく昭和
40年代の半ばくらいまでは「正しい日本語」あるいは「美しい日本語」が、ちゃんと意識されたうえで使われていたような気がします。
別の言い方をするなら、言葉に対する意識がだんだん低くなってきたということです。
ついでに言うと、これは明らかにテレビの悪影響です。


若大将シリーズでは加山雄三自身の楽曲ばかりでなく、『恋の季節』(ピンキーとキラーズ)や『老人と子供のポルカ』(左卜全とひまわりキティーズ)なども流れてきます。
劇中に流れるヒット曲によって「ああ、なるほど、あのころか」と私自身の過去と一致することがしばしばあります。
絵を見て昔を思いだすことはあまりありませんから、これは音楽が持つ特徴といっていいでしょう。
懐メロ(懐かしのメロディ)が好まれる理由もそんなところにあります。


ところで、ジャズには懐メロが存在しません。
私は
1960年代のジャズを日常的に聴いていますが、それは懐かしさを求めているのではなく、あのころのジャズが今なお新鮮で、生き生きと力強い音楽だからです。

2015.01.08 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.65

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.65」



明けましておめでとうございます。

昨年は突然に春がやってきたと思ったら、今度は突然に夏になり、秋の到来も突然でした。
それぞれの季節を結ぶ中間がなくなったような感じがしたものです。
そして、やはり冬も突然にやってきました。


冬の間はオートバイにもロードバイク(長距離レースの競技用自転車)にも乗れないため、これまで私はまるで冬眠をしているような状態で過ごしてきたものですが、体がなまってしまうので、スキーを再開しました。

再開といっても40年近いブランクがありますから、ほぼ初心者同然です。

それでも、昔とった杵柄というのでしょうか。
ゲレンデを恐る恐る滑り下りていくあいだに、体が自然に反応していくのがわかりました。
自転車と同じで、スキーはいったん身についたら忘れないのだそうです。


とはいえ、私がスキーに熱中していた十代半ばのころとはスキー道具もテクニックも異なります。
スキースクールで一から学んでいますが、やはり「初心者同然」だと痛感させられます。


おもしろいことに、私が受講しているスキーレッスンのコーチは、ロードバイクの仲間なのです。
これはスキー場で出会って初めてわかったことで、まったくの偶然でした。


スキー板を通して伝わってくる雪面の質感やゲレンデならではの冷気に猛烈な懐かしさを覚えました。
それだけでもスキーを再開してよかったと思いました。


実は自転車もギター(バンド活動)も、20年ほどのブランクがあって40歳を過ぎてから再開しているのです。
いろいろ遠回りをして、結局、原点に戻っているような気がしないでもありません。


原点といえば、私のすべての原点は映画(それも洋画)に求めることができます。
天候が悪くてスキーに行けない休日は、
1960年代から70年代初頭にかけて公開された映画をDVDで楽しんでいます。
産業としての映画は現在のほうが盛んだと思いますが、映画が持つ力はあのころのほうが遥かに強いと感じます。


あるいは、映画に限らず、絵画だろうと小説だろうとジャズだろうと「力を持っていた時期」が過去にあり、そのおかげで今があるということができるのかもしれません。
美術館はそういったことを伝えていく使命も持っていると私は思っています。


岩手町立石神の丘美術館を今年もどうぞよろしくお願いします。

2014.11.27 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.64

美術館で毎月発行している小さな情報誌
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.64」



今年も残すところわずかとなりました。
私にとって今年は変化の年でした。大きなできごとが二つあったのです。


一つめは、盛岡復興支援センターのセンター長を退任したことです。
同センターは
2011711日に盛岡市によって開設されました。
一般社団法人
SAVE IWATEが運営を受託し、副代表だった私が「1年間だけ」とセンター長を引き受けましたが、結局、3年間つとめたことになります。

盛岡には東日本大震災で大きな被害を受けた沿岸から700世帯が避難しています。
その方たちの支援拠点として、センターは物資支援を皮切りに、個別訪問や情報提供、学習支援、サロン活動など多彩な支援活動を行ってきました。
これらの活動の成果として、現在までのところ盛岡では避難者の孤立死・自殺といったことが一件も起きていません。
これは特筆すべきことです。
復興にはほど遠い状況での退任でしたが、いろいろな意味で潮時を迎えたのだと思っています。


二つめはオートバイを乗り換えたことです。
復興支援センター長を辞め、ツーリングを楽しもうと思った矢先に
BMWR1150ロードスターが大きな故障に見舞われてしまいました。
小型のオートバイが1台買えるくらいの修理代がかかるため、思いきって買い換えることにしたのです。
死ぬまで乗り続けようと思っていた相棒との別れはちょっとつらいものがありましたが(なにしろ、
13年間で6万キロあまりを一緒に旅してきましたから)、これもまた潮時だったのかもしれません。

新しい相棒は白いタンクのホンダCB1100です。
私のオートバイ・ライフはあと
10年くらいでしょうから、これが最後の相棒となるでしょう。

そんなわけで、冬の一日、来年のツーリング計画をあれこれ考えて過ごしています。

2014.11.05 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.63

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.63」



読書の秋です。
若い人に読んでもらいたい本を推薦してほしいと依頼されることがよくあります。
私は意図的に「本」だけでは完結しないものを選ぶように心がけています。
たとえば、山登りの本とかオートバイに関する本などのように、読書をきっかけに実際に体験してみたくなる内容の本です。


物書きがこんなことを言ってはマズいのですが、「本を読むよりもまずオートバイに乗りなさい(あるいは、山に登りなさい)」というのが私の本音です。
読書はその後からでいいと思っています。


読書離れが社会問題のようになって久しいですが、それでは本を読まない代わりに何をやっているのでしょうか。
「音楽、あるいはスポーツに打ち込むあまり、本を読む時間がない」というのならわかります。
私たちの時間は限られていますから、当然、優先順位をつけなければなりません。
その結果、読書を後回しにすることはあるでしょう。


けれども、あくまでも「後回し」であって、読書を除外するのは問題外だと思います。
たとえば、ロックだろうとクラシックだろうと音楽をやる人にとって読書は、楽器の演奏と同じくらいに大切です。
実際、多くの一流音楽家が音楽を学んでいる学生に「楽器の演奏技術を磨くのも大切だが、まず本を読みなさい」と諭している光景を私は何度も目にしています(たとえば、ベートーヴェンを演奏するには、ベートーヴェンが生きていた時代を理解するための歴史書を読む必要があります)。


一流のスポーツマンには、歴史上の偉人の伝記や歴史小説がよく読まれているようです。
チームワークのまとめ方、作戦の立て方、精神論など参考になることがあるからでしょう。


私は音楽書や芸術書を読むのも好きですが、この場合もやはり「読む前に聴く(あるいは、読む前に観る)」が基本です。
知識を詰め込んで、頭でっかちになるための読書なんてつまらないと私は思っています。


ここ数年、私は本を読む時間がどんどん減っています。
本を読むペースも落ちました。
それでも読みたい本は増えますから、未読の本の山が高くなっていく一方です。


というわけで、本を読む時間をつくることが私のこれからの大きなテーマです。

2014.10.05 Sunday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.62

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.62」



いよいよ、『高橋克彦一人六人展』が開幕しました。
これは、今、日本で最も読まれている作家の一人である高橋克彦氏の全貌を紹介するものです。


高橋氏の作品はミステリー、怪奇小説、歴史小説、SFと多岐に渡っており、そのすべてのジャンルで文学賞を受賞なさっています。
これは実に稀なことです。
ミステリー作家、怪奇小説作家、歴史小説作家、SF作家という
4つの顔に、もともとの出発点だった浮世絵研究家の顔、さらにはプロはだしの写真家の顔(そして、真景錦絵作家の顔)を加えて「一人六人展」というわけです。

私には本展を「生きている文学館」にしたいという思いがありました。

作家を顕彰した文学館や記念館は珍しくありませんが、それらは画一的で、一度行けばもう充分というところがほとんどです。
もっとわくわくする文学館ができないだろうかと、いつも不満に思っていました。
いずれ高橋克彦文学館・記念館が実現することでしょう。
そのとき、礎になるような企画展にしたいと考えたのです。


その思いをどれだけ形にすることができたか、実はまだまだ満足していません。

たとえば、高橋氏のシングルレコードやLPレコードの大コレクションを展示できませんでした。
このコレクションは昭和歌謡史の知られざる細部から全体の流れまでカバーできるもので、氏自身の解説によるレコード・コンサートもいつも満員になる人気ぶりです。
愛煙家ならずとも興味を引くであろう、みごとなジッポーオイルライターのコレクションも展示を諦めざるを得ませんでした。
また、ご存じのように今年で第
20回をむかえる盛岡文士劇では、高橋克彦一座の座長というべき存在でもありますが、これにもあまりスペースを割くことができませんでした。

というわけで、全貌に迫ったとはとうてい言い切れないのです。

しかし、高橋氏と出会って30余年になる私でさえ、実はまだ氏の全貌をつかみきれていないというのが正直なところです。
それどころか、年を経るごとに奥行きと幅(肉体的なことではありません)を増していく高橋克彦氏に追いつくのはおろか、ますます離されていくばかりです。


進化を続ける高橋克彦氏の「生きている文学館」としての『高橋克彦一人六人展』をぜひお楽しみください。

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