最新情報・ブログ
2014.07.25 Friday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.60

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
芸術監督・斎藤純のショートエッセイをご紹介します。

なお、過去のエッセイをご覧になりたい場合は、
「美術館通信」コーナーよりpdf形式でご覧ください。


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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.60」



岩手町立石神の丘美術館の芸術監督に就任して、6度目の夏を迎えています。

私は30代半ばから40代半ばにかけて(ということは川崎市宮前区に住んでいた20年前から10年前にかけて)、日本各地に残るブナ林をオートバイで巡る旅をしたり、首都圏近郊の里山に登ったり、住まいからクルマで20分ほどの生田緑地の自然観察会に参加するなど、自然に触れることに熱中しました。
野鳥と樹木の名前はそのころに覚えたものです(といっても、どちらも10数種類しか覚えられませんでしたが)。
あのころは、あまりにも自然と乖離した都会の生活に飽き飽きしていたのだと思います。


しかし、同時にそのころの私は月に1、2回は都心の室内楽専門ホールに行き、クラシックの生演奏を熱心に聴き漁り、美術館にも週に一回は足を運んでいました。

つまり、天(あるいは神)がつくったものと人間がつくったもの(美術や音楽)の両方を貪欲に求めていたのです。

この10年あまりを振り返ると、年に2、3度の登山以外に自然と積極的に触れ合う機会はありません。
盛岡という自然に恵まれた地で暮らしているから、あえて野山に出かける必要がなくなったのかもしれません。


石神の丘美術館の芸術監督に就任したとき、ここを天(神)がつくったもの(自然)と人間がつくったもの(美術、音楽)が融け合った場にしたいと思いました。
多彩な企画展はもちろんのこと、野鳥観察会やコンサートなどの実施を通して、この5年で少しずつその思いを具体化してきました。


これはもちろん私一人の力ではなく、たくさんの方のお力添えがあってのことです。
改めて感謝したいと思います。

2014.06.11 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.59

美術館で毎月発行している小さな情報誌
「石神の丘美術館通信ishibi《いしび》」にて連載中の、
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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.59」



アメリカへ17年ぶりに行ってきました。
甥がカーネギー・メロン大学をめでたく卒業することになり、その卒業式に列席してきたのです。


史上2番目の富豪といわれる鉄鋼王アンドリュー・カーネギーと大銀行家アンドリュー・メロンの名を冠したカーネギー・メロン大学は、日本ではあまり知られていませんが、教授陣や卒業生から13名ものノーベル賞受賞者を輩出している名門私立大学で、かつて鉄鋼で栄えたピッツバーグにあります。
屋外(アメリカン・フットボールのフィールドと陸上競技のトラックを持つグランドが会場)での卒業式はなかなか盛大なものでした。
ちなみに、甥は3歳のときからハワイで育ち、アメリカの永住権も持っているので「留学」ではありません。


卒業式の間隙をぬって、カーネギー美術館でアメリカ美術と印象派のコレクションを観ることができました。
カーネギー・メロン大学は工科系大学なのに芸術学部もあり、エミー賞受賞者やアカデミー賞受賞者を輩出しています。
アンディ・ウォーホルもここの卒業生です。


4日間という短い滞在でしたが、フィラデルフィアを再訪し、フィラデルフィア美術館とペンシルベニア美術アカデミー美術館を観てきました。
どちらも日本ではほとんど観ることのできないアメリカ19世紀美術の宝庫です。
また、フィラデルフィア美術館の印象派コレクションも本国フランスを凌ぐものがあります。
印象派はフランスで受け入れられる前にアメリカで人気が高まったため、多くの傑作が海を渡って流出したのです。


アメリカ美術については芸術監督講座「絵画は何を描いてきたか」で、いつか紹介したいと思っています。

久々のアメリカで感じたのは、物価が高いことでした。
日本の1.5倍から2倍という印象です。
また、アメリカへの入国審査や空港でのセキュリティチェックはとても厳しく(全員、靴も脱がされます)、テロの脅威にさらされている国なのだと痛感させられました。


街角で地図をひろげて立っていると、「道に迷いましたか?」とか「どこへ行きたいの?」と気軽に声をかけてくるフレンドリーさは以前と同じでした。アメリカ人が持つ美点のひとつだと思います。

2014.05.03 Saturday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.58

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.58」



石神の丘美術館ではさまざまなワークショップや講座に加えて、石神の丘美術館友の会との共催でコンサートや野鳥観察会なども開催しています。

426日に今年度一回目の野鳥観察会が、日本野鳥の会の中村茂さんと柴田俊夫さんを講師にお招きして行われ、ツグミ、トラツグミ、ヒヨドリ、シジュウカラ、ゴジュウカラ(声のみ)、ヒガラ、ウグイス(声のみ)、メジロ、カワラヒワ、アカゲラ(声のみ)、アオゲラ(声のみ)、エゾムシクイ(声のみ)、アカハラ、エナガ、シメ、マミチャジナイ、ハシブトガラス、そして何とオオルリをゆっくり観察することができました。

およそ1時間半(万歩計を付けていた方によると、およそ5000歩)の散策で、これだけの種類の野鳥と出会える場所はそう多くありません。
私は念願のオオルリと会えたので感激もひとしおです。
石神の丘で声だけは前から耳にしたことがあるのですが、ようやく観察できました(残念ながら写真は撮れませんでしたが、目にしっかりと焼きついています)。


オオルリはその名の通り、瑠璃色(鮮やかな青)の小鳥で、鳴き声が美しいことでも知られています。
人気が高いため、違法に捕獲されて減少し、各地で絶滅危惧種に指定されています。


石神の丘にはシラネアオイの小さな群落もあり、ちょうど紫色の花をたくさん咲かせていました。
これも心ない愚か者による盗掘が絶たないため、各地で絶滅危惧種に指定されています。


お金には替えられない貴重なシラネアオイやオオルリに、偶然とはいえ、ごく短時間の間に私たちは出会うことができました。

しかし、これらはその価値を知る人にとってのみ大切なのでしょうか。

実はそうではありません。
オオルリが住めない環境やシラネアオイが自生できない環境は、人間にとっても住みにくい環境だといえるでしょう。


つまり、自然を守るということは、結局のところ、私たち自身に帰ってくることなのです。

 

2014.04.02 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.57

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.57」



絵画やクラシック音楽などの芸術はスルメのようなものだと思います。
これに対して、コミックやポップスはチューインガムです。


チューインガムは口に入れて噛んだとたんに子どもから大人まで、ほとんどの人が「甘くておいしい」と思うでしょう。
ところがスルメはそうはいきません。
固くて噛むのに疲れますし、味だってそう簡単にはわかりません。
ところが、大人になると(特に飲んべえにとっては)こんなにおいしいものはない、ということになります。


チューインガムは(このごろのは長持ちするといっても)数分後には味がなくなってしまい、その後はゴミになるだけですが、スルメは噛めば噛むほど味わい深くなり、味がなくなった後は飲み込んでしまえます(栄養にもなるはずです)。

つまり、誰にでもすぐにわかるチューインガムと違って、スルメの味がわかるには年季のようなものが必要だといっていいと思います。

ここでいう年季とは、積み重ねのことです。
音楽や美術作品を、自分の目と耳から何度も繰り返して吸収することです。
そのうえで必要に応じて本を読んだり、講座に通ったりすると、より楽しめるようになります。


ある段階を超えると、音楽を聴いたり絵画を観たりすることで、栄養を得られるようになります。
もちろん、精神の栄養なのですが、体に血肉となって吸収されていくように感じられます。
その意味でもスルメと似ています。美術館やコンサートホールはスルメだと思ってください。


もしチューインガムで栄養を得られるとしたら、それはそれで効率がよく、羨ましいと思います。
私には真似ができませんけれど。

2014.03.04 Tuesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.56

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.56」



たまには映画の話を書きましょう。

私は十代半ばまで映画館で育ちました。
これは比喩ではなく、父が勤めていた国劇という映画館の中に自宅があったのです。
だから、私はテレビよりも映画を観て育ちました。


洋画専門の映画館だったので、子どものころからフェリーニ(『甘い生活』など歴史的な名画を残した巨匠で、多くの映画監督に影響を与えています)や007シリーズなどが好きでした。
今思うと、かなり早熟というか、ませた子どもだったようです。
なにしろ、小学生のくせに、ミレーヌ・ドモンジョやカトリーヌ・ドヌーヴに憧れていたのですから。


いろいろな知識を外国映画から得ました。
たとえば、クルマ。
私が小学生のころの盛岡では輸入車がまだ珍しく、フォルクスワーゲン・ビートルを見かけると大喜びをしたくらいでした。
そんな時代ですから、ロータスやシトロエンという名前を知っているだけでも友人たちから尊敬されたものです。


オートバイや音楽が好きになったのも明らかに映画の影響ですし、そもそも小説を書くようになったのも、こういう環境の賜物だったと思っています。

今でも年におよそ30本ほどの映画を観ます(ほとんどが洋画です)。
DVDやテレビで観たものは数に入れません。
映画は劇場で観るものだからです。
ジャズだろうとクラシックだろうと生で聴くコンサートにCDが絶対にかなわないのと同じように、映画は映画館の暗がりの中で大勢の観客と一緒に観てこそ、本当の魅力に浸れるのです。


もっとも、映画館がたくさんある盛岡ならともかく、多くの市町村では映画館で映画を観ることが難しいのが実情です。
岩手町ではプラザあいでときどき映画を上映しています。
とてもいいことだと思います。
同じ空間で、一緒に笑ったり泣いたりするのが映画の大切な「力」なのですから。

2014.02.09 Sunday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.55

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.55」



江戸東京博物館で開催中(32日まで)の『大浮世絵展』を観てきました。
「大」と付くだけあって、とても規模の大きい展覧会でした。
なにしろ、国内外の美術館から選りすぐりの名品が合計
350点も集められたのですから、ただごとではありません。
私が訪れたのは平日だったのに、人気の高い写楽の前などでは人の頭しか見えないような混雑ぶりでした。


私が初めて本物の浮世絵を観たのは、大学1年のときでした。
選択講義で美術を取り、浮世絵研究の大家である故楢崎宗重先生の教えを受けたのがきっかけです(ずっと後になって、やはり浮世絵研究家でもある高橋克彦さんと出会い、楢崎先生は克彦さんのある小説に登場する人物のモデルだということを知りました)。


あのころの私は浮世絵を「印象画に影響を与えた日本美術」として観ていたため、本当の魅力に気がつきませんでした。
また、品川や神田あたりの出身の友人(つまり、江戸っ子)たちと接しているうちに、浮世絵や落語などの江戸文化は、「江戸時代」の文化ではなく、「江戸地域」の文化だと気づかされました。


その結果、「江戸文化」には近づかないようにしようという警戒心が生じ、浮世絵からも意識的に遠ざかりました。
盛岡で生まれ育った私には「縁のないもの」と決めてかかってしまったのです。
つまり、自分自身に制限をかけてしまったのです。


50歳を過ぎて、その愚かしさにようやく気がつき、「いいものはいい」と何でも分け隔てなく観るようになりました。

前にもちょっと書きましたが、江戸から明治に変わったころ、この国を司る人々は「浮世絵は恥ずかしいもの」として抹殺しました。
浮世絵に限らず、当時は自国の誇るべき文化を否定しまくったのです。
そのため、優れた作品が大量に海外に流出することになってしまいました。
日本人の目が「西洋化」というメガネによって曇っているうちに欧米の目利きが大活躍したわけです。


それはともかく、ここ数年、浮世絵を観るようにしてきましたが、『大浮世絵展』は数のうえでも質のうえでも断トツに素晴らしい内容でした。

岩手では残念ながら浮世絵を観られる機会はあまりありませんが、東京には太田記念美術館のように浮世絵専門の美術館もあるので、これからも機会があれば足を運びたいと思っています。

2014.01.15 Wednesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.54

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.54」



冬至を過ぎ、これからは夏に向かって日が長くなっていきます。
とはいえ、本格的な冬を迎えるのはこれからです。


この時期、美術館の屋外展示場を訪れる人はとても少なくなります。
雪のため足元が悪くなりますし、日が短いのでせいぜい3時過ぎくらいまでしか散策ができないからです。


ところが、逆にこの時期を待っていたという方々もいらっしゃいます。
その方たちは、雪の上に残された動物の足跡を観察に来ているのです。


石神の丘美術館では「友の会」の主催による観鳥会(野鳥観察会)を、毎年、春と秋の2回にわたっておこなっています。
毎回、
30種類を超える野鳥を確認していますが、石神の丘の自然環境は野鳥だけではなく、ほかの動物たちにも好まれているようです。
これまでにカモシカ、アナグマ、キツネ、ウサギ、それに私は苦手なのですが、数種類のヘビが観察されています(だいぶ前にはツキノワグマも目撃されているそうです)。
それらを実際に見られるチャンスはなかなかありません。
私もアナグマにしか出会っていないのですが、足跡ならお目にかかっています。


動物が歩いた跡や食事をした跡、糞などを観察することで、それぞれの動物の特性がわかります。
これをアニマル・トラッキングというそうです。
冬はそれらを見つけやすいので、アニマル・トラッキングには絶好の季節となります。


私もカメラを手に、石神の丘を歩いてみました。
いくつかの動物の足跡を見つけることができました。
動物たちは雪が降った直後に活動し、その後は外出を控えるのか、雪の上の足跡はいずれも古いものばかりでした。


点在する彫刻たちとの対話をしつつ、自然との交感も楽しめるのが石神の丘の四季です。
真冬の石神の丘にもぜひ足を運んでみてください。
長靴やスノーシュー(西洋カンジキ)を無料でお貸ししています(数が少ないので団体の対応はできません)。


ちなみに、晩秋にはリスが松ぼっくりを食べて残した芯(その姿が似ているのでエビフライと呼ばれています)を見つけることができます。
石神の丘美術館屋外展示場の入館料は
100円です。

2013.12.01 Sunday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.53

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.53」



しばしば私たちは「日本は長い歴史を持つ国」といいます。
それは確かにそのとおりなのですが、その長い歴史の中で生まれてきた芸術文化に私たちはどれだけ触れているでしょうか。


恥をしのんで告白しますと、私は『源氏物語』を読んだことがありません。
『源氏物語』を原文で読んで理解することは私の能力では不可能です(素晴らしい意訳もたくさん出版されていますが)。
なにしろ日本語は時代によって大きく変化しているので、江戸時代のものさえ読むのに苦労します。


西行は好きで『新古今集』などをたまにひっぱりだしています。
ただ、今は使われていない大和言葉に、異国情緒にも似た印象と憧憬を覚えるのですから屈折しています。


音楽に目を(耳を?)転じると、長唄、義太夫、宮廷音楽というべき雅楽など多彩な伝統音楽があるのですが、私が日常的に聴いているのはクラシックやジャズなどです。

日本の美術作品に触れる機会もそう多くはありません。
おそらく印象派の展覧会のほうが日本画の展覧会よりも多いでしょう。


こうして見ると、日本という国は不思議な国だと思ってしまいます。
「アメリカは日本に比べると歴史が浅い」と平気で口にする割に、基本的にはアメリカの芸術文化の中で生活しているのですから。


それはともかく、今年は日本画を観る機会に恵まれました。
伊藤若冲を「東日本大震災復興支援『若冲が来てくれました』プライスコレクション 江戸絵画の美と生命」展(岩手県立美術館)と、「ファインバーグ・コレクション展 江戸絵画の奇跡」(江戸東京博物館)という二つの大きな展覧会で観られましたし、「竹内栖鳳展 −近代日本画の巨匠−」(東京国立近代美術館)と「横山大観展 −良き師、良き友」(横浜美術館)で東西の両巨匠の作品を観ることができました。
また、大観らを育てた橋本雅邦にスポットを当てた「狩野派と橋本雅邦−そして、近代日本画へ」展(埼玉県歴史と民俗の博物館)も大きな収穫でした。


若冲の優れた作品が残念なことに日本ではなく、アメリカにあることが上記二つの企画展によって明らかです。
「本格的に日本美術を勉強しようと思ったら、アメリカに留学しなければならない」と聞いたことがあります。
若冲に限らず、優れた日本美術が、明治以降、大量にアメリカに流出したことを物語っています。


改めて考えると、明治は日本美術が国外に流出しただけではなく、日本古来の文化も失った時代でした。

2013.11.07 Thursday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.52

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.52」



クラシックのコンサートには何かと「決まりごと」が多いです。
何かの都合で会場に遅れて着いたとします。
案内係の方から「この曲(あるいは、この楽章)が終わるまでお待ちください」とドアの前で待たされ、曲が終わるとようやく入れてもらえます。
これなどはほかの聴衆の迷惑にならないためでもあって、納得できる決まりごとといえるでしょう。


今ひとつよくわからないのは、楽章間の拍手が禁じられていることです。

クラシック音楽は交響曲でも協奏曲でも室内楽の作品でも、そのほとんどは複数の楽章から成り立っています。
たとえば、『運命』という題名で知られるベートーヴェンの交響曲第5番は、4つの楽章で構成されています。
馴染み深い「ダダダダーン!」で始まる第1楽章が終わったとき、つい拍手をしてしまいそうになりますが、現在のクラシックコンサートではその後に続く第2楽章、第3楽章、そして第4楽章とすべての楽章を聴き終えてから拍手をする決まりになっています。


拍手のタイミングがよくわからない、という方も少なくないと思います。
一番確実なのは、背中を向けてオーケストラを指揮していた指揮者が客席に向き直ったときに拍手をすればよいのです。


指揮者のいない室内楽の場合は、演奏家が立ち上がったときに拍手をします。

クラシックファンの中には、演奏が終わるのと同時に拍手することに命をかけているような人もいますが、恥ずかしいことなので決して真似をしないでください。
音楽の響きを充分に味わってから拍手を送るのが最大の礼儀でしょう。


すべての楽章が終わるまで拍手をしないことを「現在の決まり」と書いたのにはわけがあります。
このルールができたのは
20世紀に入ってからのことで、それ以前は楽章間どころか演奏中であっても、いいところがあると盛大な拍手が起きたのです。
その伝統は今でもバレエとオペラに見ることできます。
別の言い方をするなら、演奏中に拍手が起きないような曲は失敗作ということになります(モーツァルトは姉への手紙に、拍手で演奏が聴こえなくなるほどだったと喜びを書き綴っています)。


ですから、たいていの曲の第1楽章は、盛り上がって終わります。
つまり、作曲家は拍手が来るように意図してつくったのに、現代の我々はそれに対して拍手をしてはならないという決まりに縛られていることになります。


それもこれも演奏家の集中力を切らせないためなのです。
拍手をしたい気持ちを抑え、その分、拍手すべきところで盛大な拍手を送りましょう。
いい演奏を聴くためにも最低限の決まりごとは頭に入れておきたいものです。

2013.10.01 Tuesday

芸術監督のショートエッセイ 石神の丘から vol.51

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石神の丘美術館芸術監督・斎藤純のショートエッセイ
「石神の丘から vol.51」


台風18号で被災したみなさまにお見舞い申し上げます。
8
月の県央大雨災害の復旧もままならないところに追い打ちをかけるような台風でした。

「このごろの天気はおかしい」と、数年前からよく耳にします。
数十年あるいは数百年に一度あるかないかの猛暑、大雪、激寒、大雨などを私たちはここ数年のうちに経験しました。

これを「気候変動」といいます。
これは地球が
1000年とか10000
年単位で年間平均気温が上下動する「気候変化」という自然現象と区別しています。

つまり、気候変動は私たちの生活によって引き起こされている現象なのです。
日本では「地球温暖化」と呼ばれている現象が、気候変動の原因です。

地球温暖化というと「こんなに寒くて、大雪なのに、温暖化はおかしい」という誤解を生むので、欧米では地球温暖化とはいわず、気候変動のほうが一般的です。
日本でも早く気候変動という用語を一般化するほうがいいと思います。

1980
年代のアメリカでは竜巻、旱魃、大雨などによる農業被害が急激に増え、保険会社が経営の危機を迎えます(アメリカでは自然災害による農畜産被害の保険制度が発達していました)。
そこで、「なぜ自然災害が急に増えたのか」と、あらゆる研究機関が原因究明に乗り出しました。
その過程で、地球の平均気温が急激に上昇していることが明らかになりました。
これが気候変動(異常気象)の原因だったのです。

1000年とか10000
年という長い時間経過による気候変化なら地球はついていくことができます。
が、
100
年という短い期間での変化に地球はついていくことができません。
氷河の消失、海面上昇、動植物の生息域の変化と生態系の破壊などが連鎖的に起きています。

さて、次の問題は「平均気温が上昇している原因」でした。
これはやがて、大気中の二酸化炭素の量が
19
世紀以降になって急増していることが判明するとともに、地球温暖化の原因と考えられるようになりました。

大気中に二酸化炭素が増えはじめたのは、私たちの生活のあり方と密接に関係しています。
石炭や石油の消費量と大気中の二酸化炭素の量はみごとに一致しているのです。

私たちはこれまで気候変動(地球温暖化)をどこか遠い国の話と思いがちでした。
でも、岩手県にも甚大な被害をもたらした大雨や暴風(竜巻)も、間接的に私たちの暮らしが引き起こした現象だとしたらどうでしょう?
もう遠い国のできごととは言っていられませんよね。


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